学校の課題とはまったく関係のない文章を
勝手にひとりで書き始めたのは
たぶん9歳か10歳くらいのときで。
爾来だれに見せるつもりもない文章を
20年来、ずっとひとりで書き続けてきた。
SNS等他人に見せる場所で書くようになったのは、
ここ数年くらい。
毒親、
何度生まれ変わっても二度と会いたくないと
わたし、真顔で言えちゃう
サイテーの両親だったけど。
そんな彼らの数少ない長所は、
わたしの日記帳を勝手に読まなかったこと。
単に、教団から差し出されたもの以外、
文章を読む習慣が無かったからだけどね。
プロ作家になりたいと願ったことは、じつはない。
けど、まるまる20年のキャリアがあるんだよ!?
文章が上手いのは当然のことだと思う。
語彙力で困ったことはないし、
言い回しもすぐに思いつく。
文章を書くことでも、
いまだったら歌の練習もそうだけど。
わたしは結局、
地味で地道な日々の積み重ねを、
何の苦もなく平気でできてしまう人なので。
気がついたときには
おそろしいほどに上達していて、
自分で自分に衝撃を受けたりする。
逆に言えば、
努力ができない、とか
やる気が出せない、とかの苦しみを
わたしは知らない。
やる気が出せないなら、
やる気なんて最初から無かったんじゃん??
そんなことを平気で言ってしまいそうだ。
勇気が出せない、とか
一歩踏み出すのが怖い、とかもそうだね。
基本的な恐怖心が壊れているのか、
告白するのに勇気がいらないのよ、あたし。
勇気を出す練習してる時間があったら、
ステキな口上を考えるのに時間を使う。
別の例でいえば、
医師の診断をかならず受けてください、
という警告を無視して、
自分で病名を割り出して、
自分でクスリを個人輸入して、
長年の持病を治してしまった。
これだって、
万が一の場合が怖いから、、、、
みたいな恐怖心が欠如してるのよ、あたし。
予想が外れてたら 死˙ん˙だっていいと思ってたし。
これで毒親じゃなかったら─────。
もっとまともな人生を歩んでたのだろうね。
自分で書いてて思うもん。
わたし、能力高いじゃん。とてつもないじゃん、って。
毒親に足を引っ張られててもこれなんだから、
両親が全力で味方してくれる境遇だったら、
どんな人生だったんだろう??
大学はじつはそんなに興味はないんだけど。
中学高校くらいまでは、
不登校児なりに、
学校には通うものだと思ってたから。
桜蔭、とか、女子学院、とか、雙葉、とかの名前を
ふとした瞬間目にすると、いまでも胸に痛みが走る。
自分の知性には
生まれつきなぜか絶対の自信があった。
いまならその裏付けもじゅうぶんあるよね。
なのに生まれ落ちた境遇に適応するためには、
かなり徹底的にバカのふりをしなくてはならず、
これはほんとうに苦しかった。
文字どおり、死˙ん˙だ ほうがマシなくらいに。
オトナになって、
自由の身になって。
それこそ自慢の知性を活かして、
やりたいこと、なんだってやればいいんだけど。
でもさ。
オトナになって『自由にできること』なんて、
カネ儲けか結婚か子育てか。
起業して成功して大金持ちになることにも、
結婚してオトコの支配下に入ることにも、
わたしはまったく興味が持てない。
クソみたいな宗教団体からの、
ゴミみたいな両親からの、
収容所みたいな暴虐の支配からは、
抜け出せたけれど。
かといって、やりたいことなんて、なにもない。
10代の多感な時期って、
ほんとうに多感な時期なんだよ!?
ほんとうにかけがえのない時間。
いまさら、思い知らされている。
あんな瑞々しさは、
わたしにはもぅ不可能なんだって。
失われた時間が戻ることは、
絶対にないんだって。
もぅすっかり薄汚れてしまって。
もぅ文字どおり、取り返しはつかない。
未来のないわたしの、
行き場のない余生。
将来、とか言う気力もねぇただの余生だよ。
はやく、さっさと、終わってほしい。死にたい。