僕がNOTEでの投稿で
何度となく
「運命」という言葉を
否定しているのには理由がある
それは10年前の東日本大震災
あの時
たくさんの町が人が
津波に呑み込まれた
あの日理不尽に失われた
沢山の生命が
それが運命だったなんて
誰にも言わせたくないから
「神様は乗り越えられない
試練を与えない」
という聖書の言葉を
聞いた事が一度はあると思う
ならば、あの日亡くなった人々は
この試練を乗り越えられないと
神に判断されたから
切り捨てられたのか
納得出来なかった
調べてみると
実はこの言葉は誤訳で
日本語で「試練」
と訳されているのは
「Temptation」直訳すると
「試み、誘惑」という意味だそうです
この言葉は
「神様はあなたを耐えられない
誘惑にあわせることはない」
という意味になります
「罪」は様々なルートで
私たちを誘惑してくるけれど
神様は必ずその誘惑から
逃れる道を備えてくださっている
と言っているわけです
「運命は自らの手で掴み取る事」
なんて事も思いません
人生の出来事や縁というものには
偶然なり必然なり
様々な要素があって
自分の判断や行動だけでは
回避出来ないものだって
多分にあるから
それを「運命」なんて
安っぽい言葉で片付けたらいけないと
10年前に嫌というほど
思い知らされたから
あれから10年の時が流れ
どんなに「復興」が進んでも
あの日失われたまま
二度と戻らないものがある事を
知っているから
みっともないくらい
ジタバタもがき足掻いて
運命に抗ってでも
戦って傷ついても
守らないといけない事もあると
教えられたから