ところで今年ってねずみ年なんだよね。
わたしは西洋占星術の人だから、
そっちばっか見てたんだけど。
ねずみ年、ということは、
2020年は12年周期の
はじめの年だったことになるよね。
まえのねずみ年は
2008年で、
歴史的にはリーマンショックの年。
スピリチュアル界隈では、
船井幸雄/日月神示/フォトンベルト/マヤ暦/2012年アセンション説
などなど盛りだくさんだった年なので、
『わたし自身にとって』
2008年はどんな年
だったのか、ということも、
わりと明確に思い出せる。
2008年は、
わたしにとって
どんな年だったかというとね、、、、、、
両親との関わり合いが心底、苦痛になって、
もぅ本気で、
『一刻も早く縁を切りたい!!』
と考え始めた年。
彼らが気軽に話しかけてくることさえ、
もはや耐え難い、
というレベルになっていた。
よくよく思い出してみると
2007年までは、
そこまで思い詰めてはいなかったし、
子どもの頃から実家に対する嫌悪感はあったものの、両親に対してはじつはかなり従順だった。
それなのに
2008年:前回のねずみ年。
わたしは、
とつぜん自分自身の境遇が耐えられなくなり、
とつぜん、ものすごく怒りっぽくなった。
それだけではなく、2008年。
わたしは意図的に男っぽく振る舞うようになった。
どぅせあたしなんて可愛くねぇんだろ?
みたいな、両親への当てつけもあったと思うが、
それだけでは説明がつかないほど、
計画的であり実利的/実用的だった。
かかとで思いっきり床をばんっ!と
踏みつけて大きな音を出すとか、
壁を思いっきり殴って大きな音を出すとか。
喉が枯れるような低い声で唸り声を上げるとか。
そもそも、大きな音を出せば相手を威嚇できるって理解したのが2008年っぽい。
というか、
泣きながら耐えるのをやめて、
遠慮なく反撃に出るようになったのも、
たぶんこの時期からだ。
いろいろあってあたしは、
重度の男性恐怖症。
それにもかかわらず、
男しかいない工事現場にわざわざ働きに行くって、
かなり異常なことだよね。
なんでそんなことができるのか!?って、それは、
わざわざ自分で自分を男性化させ、
怒りに満ちた状態を創り出したから。
擬似的にわたし自身も男性になってしまえば、
異性として見られることもなくなるから、
男性恐怖症は凍結できる。
いつも訳も無くイライラしてる人格なら、
工事現場のヘビースモーカーたちと
どことなく釣り合ってしまって、
わたしもそこに溶け込んでしまえる。
そんなふうにしてわたしは、
『別人になることによって』
食い扶持(仕事場)を得たのだった。
(※工事現場で働き始めたのは2016年からです)
2008年はねずみ年で、
そこから干支一周分を経過したさいごの年は
2019年:いのしし年。
この年の6月わたしは
ついに念願叶って、
実家と縁を切ることに成功した。
2008年を起点とするなら、
『両親と縁を切る』
という夢を叶えるのに
まるまる干支一周分の時間が経過していた、
ということになる。
はじまりは、ねずみ年で、
完結するのは、いのしし年。
クロニクルに気づくと、
けっこうゾッとさせられる。
ねずみ年からいのしし年までの、
干支一周分の時間を使って、
①自分で自分を男性化させ、
②怒りに満ちた人格を創り出し、
③それにふさわしい仕事を得て、
④ついに両親と縁を切った。
これって、
いわゆるひとつの
計画どおり、ということなのか???
生まれてくる前から
人生で起こる出来事は
あらかじめ定められていた、のか???
(※わたし個人は、スピリチュアル界隈でよく言われる、魂の計画とか、自分の人生は自分で決めてきたとかの話は、心の底から嫌いです。ほんとうはこの世には生まれて来たくなかったと、こころから叫びたい)
はたして。
2020年は、ねずみ年。
あたらしい周期のはじまりの年。
ほんの立春が明けたばかりの2月、
仕事帰りの電車のなかで、
見ず知らずの男性に背後に立たれただけで
男性恐怖症が再燃。
叫び声をあげて逃げ出した。
しばらく震えが止まらなかった。
それからというもの、
過去の出来事を次々と思い出すようになり、
NOTE15にも性暴力、性被害について投稿するようになってしまった。
『自分自身を男性化させる』
『男に伍して生きる』
という意味では、
かつて使えたはずの能力が、
どんどん使えなくなってゆくだけの
2020年だった。
あんなに高い声で叫ぶなんて、
いま思い出してもけっこう恥ずかしい💦
起こる出来事ぜんぶが、
同じ方向を向いていて。
事ある毎にすこしずつ、
わたしは女の子の姿に
戻っていった。
まふまふ君の高音に合わせられるようになった。
大きなくまのぬいぐるみを抱いて寝るようになった。
涙もろくなった。
髪を伸ばしはじめた。
輪郭線が細くなった。
肩幅もちいさくなった。
恋愛感情の高まりがそのまま容姿に反映されるようになった。
長時間労働ではお給料よりも肌荒れが気になるようになった。
好きな女の子に対して(擬似的に)自分は男性だから、という言い訳を使うのも、もぅ不可能になった。
自分自身を擬似的に男性化させて、
常時イライラしながら過ごすのも、
決して快適なものではないのだが。
逆に言って。
避けようもなく女の姿へと戻っていくのも、
太陽が永遠の夜へと消えてしまうような、
身体ごと底の無い沼の中へと沈められるような、
筆舌に尽くせぬ不快感と恐怖感がまとわりつく。
あぁ! だからオンナはオトコに依存するのだ!
あんなにも深い知性を湛えた気高きあの子は、
低能で野蛮なダメ男に踏みにじられていても愛。
性欲はただの性欲でしかないのに、
ありもしない愛を後生大事に抱え込んで。
怒りの炎を焚きつけて、
限界まで自分自身を男性化させていた時代の
余熱はいつか消え。
どう転んでもただの無力な一介の女性に過ぎない
あたしは、
世の中は変わらず男尊女卑で、
被差別身分(※女性)同士で身を寄せあっても、
無力な立場は変わらないと知りつつ、それでも
自分では変えることの出来ない事実を受け入れて。
身を守るものは何もなくとも、わたしは
女性同性愛者を自認することにした。