〈名前のない物語〉
「私、あんたのこと嫌いだから」
「……は?」
生まれて初めて
女に嫌いと言われた。
事の発端は、担任から雑用を押し付けられた事だった。
「若崎くん、今日の放課後空いてる?」
「少し頼みたいことがあるの」
「空いてますよ」
「ほんと?それじゃあ放課後教室残ってね」
「はい」
頼みたいこととは委員会の資料作りで。
まぁ俗に言う雑用だった。
「じゃあよろしくね」
「はい」
「若崎くんがいてくれて良かったわー」
「こんなこと、貴方にしか頼めないもの」
嘘つけ。
仕事を押し付けたいだけだろ。
自分でやれよ。
そんなことが言える訳もなく。
「大したことじゃないですから」
笑顔で担任を見送る。
誰もいなくなった教室に、自分のため息が響いた。
とっとと終わらせて帰ろう。
無心で作業を進めていく。
「あれ~?つばさじゃん」
「何してんのー?」
ふと顔を上げると入口に女子が二人。
よく絡んでくるクラスの奴らだった。
香水も化粧も濃くてあまり好きではない。
スカートを短く折って、それが可愛いと思っている。
そんなのただ下品なだけだ。
派手な金髪が夕焼けに反射して、目が眩んだ。
「雑用。頼まれちゃってね」
目を細めたのがバレないように笑顔を作る。
「え~可哀想~」
「じゃあ今日遊べないの?」
「せっかく親いないのにー」
「悪いけど無理かな」
「えーつまんなーい」
「また今度ね」
「りょうかーい」
「バイバ~イ」
手を振り去ったのを確認してから作業に戻る。
一時間ほどすると大分終わりが見えてきた。
もう少しだ。
と、ガラリとドアが開いた。
また誰か来たのか。
「あ、つばさくんいた!」
誰だ、この女。
脳をフル回転させるも思い出せない。
「何か用?」
「んーん。用はないんだけど…」
「さっきつばさくんと同じクラスの子達に」
「つばさくんが教室にいるって教えて貰って」
さっきあった二人か。
余計なことを。
「雑用?偉いね~」
「ありがとう」
颯爽と教室に入り込み、隣に座ってくる。
甘ったるい香りが鼻を掠めた。
「つばさくんってほんとにかっこいいよね」
「そうかな」
「そうだよ!」
「私ね、つばさくんが好きなの」
「僕が?」
「うん。本当に好き」
頬を赤く染めて見上げてくる。
緩く巻かれた髪がふわりと揺れた。
「僕のどこが好きなの?」
「え~恥ずかしいよ」
両手を頬に当てて恥じらう。
その手に自分の手をそっと重ねた。
「教えて欲しいな」
「も~つばさくんの意地悪っ」
「ふふ。君だからだよ」
「やだ~~」
「僕のどこが好き?」
「かっこよくて、優しいところだよ」
やっぱりな。
そうだろうと思ったよ。
「ふふ、ありがとう」
この後はどうせ
「ね、つばさくん。私と付き合って?」
「私可愛いし、スタイルも結構いいよ?」
ほら、そう言う。
女なんて単純だ。
優しくすればほいほい付いてくる。
遊ぶくらいがちょうどいい。
「いいよ」
「僕と恋愛、しよっか」
パァっと女の顔が輝く。
「うんっ」
「これからよろしくね、つばさくん」
「私隣のクラスだけど、沢山会いに来るから!」
あぁ、やっと思い出した。
この女、可愛いって噂になってた隣のクラスのやつだ。
まぁたしかに可愛い。
中身はともかく顔は。
「ねぇ、つばさくん」
「ん?」
「あのね、その……」
下を向きモジモジと照れくさそうにする。
「キス……して欲しいなって」
「ここで?」
「うん…ね、ダメ?」
潤んだ瞳で上目遣いをしてこちらを見つめてくる。
正直したくはないけど、断って駄々をこねられるのも面倒だ。
「いいよ」
「ほんとに?」
「うん。目、閉じて」
素直に目を閉じる女。
頬に置いていた手を少し下げ、顎をクイと上げる。
そっと唇を重ねた。
「ふふ、なんだか照れるね」
顔を赤くして恥じらう女。
「僕まだ作業があるから」
「今日のところは帰ってもらえるかな?」
「あ、そうだね。作業頑張ってね」
「ありがとう」
バイバイと手を振って軽やかに教室を出ていく。
ドアが閉まると同時にため息をついた。
時計を見やるとあれから15分も経っていた。
時間を無駄にしてしまった。
「くそ……」
と、またドアが開いた。
なんなんだ、今日は。
来客が多すぎやしないか。
咄嗟に姿勢を正し机に向き直る。
教師にだらしない姿を見せる訳にはいかない。
「あ……」
恐らく無意識に漏れてしまったであろう小さな声。
顔を向けると女子生徒が一人立っていた。
三つ編みのお下げに丸眼鏡。
あー、また名前を思い出せない。
同じクラスだったよな。
「どうしたの?忘れ物?」
声をかけながら席を立ち近づいて行く。
女はこちらを見つめたまま何も言わない。
なんか言えよ。
「おーい?大丈夫?」
「え、あ、はい」
「おお、そっかそっか」
ハッとしたように返事をする女。
「あ、私、忘れ物を取りに……」
「あぁ、そっか」
「はい……あの、隣失礼します」
そう言いそそくさと俺の隣を駆けていく。
机に駆け寄り中を探している。
「あった?忘れ物」
「はい…良かった」
ほっと息をつく。
忘れたものは教科書らしい。課題をやるのに必要なのだろうか。
見た目の通り真面目だな。
「あの……作業の邪魔してすみません」
いつの間にか近くまできていて、申し訳なさそうな顔で謝ってきた。
机の上にあったやりかけの作業を見たのだろう。
「大丈夫だよ。もう少しで終わりそうだし」
「忘れ物、見つかってよかった」
ちらりと上履きに書かれた名前を見る。
「里中さん、気を付けて帰ってね」
「は、はい。それでは」
一礼して教室を出ていこうとした。
「わっ」
が、なにかに躓いて前のめりに転んだ。
「いった…」
地面にうつ伏せになり、小さく呻いた声が聞こえる。
ドジっ子なのか?
それともわざとか?
どっちにしろ、見てないふりも変か。
「大丈夫?」
近くにしゃがみこみ、顔をのぞき込む。
恥ずかしさからか、顔を真っ赤にさせていた。
「だ、大丈夫です!」
「お見苦しい所を見せてすみません!」
「全然そんなことないから大丈夫だよ」
「ケガとかしてない?」
「は、はい。なんとか…」
「そっか」
「でも万が一もあるし、保健室行こう?」
「おぶってあげるよ。ほら、乗って」
「え!?」
「いえ、若崎くんにそんな真似させられません!!」
「いいからいいから」
手を掴み身体をそっと起こす。
「………ぉ…が」
「里中さん?」
「いいって言ってんだろーが!!」
「……え?」
突如声を荒らげる女。
突然のこと過ぎて言葉が出ない。
「さっきから不用意に近付いてきて!」
「ほんと女たらしだな!!」
「女なら誰でも思い通りにいくと思うな!」
「え……は?」
この女二重人格……いや、別人?
言いたいことを言い終えたのか、肩で荒く息を整えている。
俺は未だに頭の中の整理が出来ずにいた。
「あーもう!!」
ガシガシと頭をかく女。
何が起こっているんだ。
「あの……里中さん……」
「なに?」
「いや、あの……え?」
あの大人しい丸眼鏡は何処にいった。
今目の前にいるこの女はまるで別人だ。
「はーバレちゃった……私ったらつい」
額に手を当てため息をつく。
続けて言った。
「この際言っておくけど」
「私、あんたのこと嫌いだから」
「……は?」
生まれて初めて
女に嫌いと言われた。
「あ、ほんとに好かれてると思ってたんだ」
「え……なんで…」
「いや、あんたチャラすぎ」
「女なら誰でも思い通りになると思ってるでしょ」
図星だった。
顔が整っていて優しければ女は誰でもついてくると思っていた。
でも、この女は
「そういうの無理なんだよねー」
今までの女とは違うらしい。
お下げをいじりながらそういう目の前のこいつを見てそう思った。
「はっ」
口が弧を描く。
女が怪訝そうにこちらを見る。
「おもしれー女」
そう言うと、女はニヤリと笑った。
「あのキャラ、作ってたんだ」
「あのキャラ?」
「ザ・人気者の優等生~って感じの」
「あぁ、まぁな」
「その方が女ウケいいからでしょ」
「よく分かったな」
「まーね」
「そういうお前こそ、キャラ作ってんだな」
「あーまぁね」
「なんでだよ?」
「こんな口悪いとクラスの一軍女子に絡まれるでしょ」
「『調子乗らないでよ』的な」
「あぁ……なるほど」
それがめんどくさいから大人しい女子を演じてるということか。
「女子も大変なんだな」
「そゆこと」
と言うと、はぁとため息をついた。
「ほーんとめんどくさい」
「校則破って着飾って何が楽しいんだか」
「それはわかるな」
「あんたに言われても嬉しくないかなぁ」
クスッと笑う。
不覚にもその笑顔に心臓が鳴った。
いやいや、気のせいだ。
なんでこんな
「……?なによ」
こんな眼鏡でお下げの地味な女なんて。
「いや、別に」
「えー何それこわ」
「ま、私みたいに思い通りにいかない女もいるってことよ」
「覚えときなさい!」
ビシッと俺に指を突きつけて不敵に笑うその笑顔が、夕暮れの校舎に妙に映えてて。
今度こそ、胸が高鳴った。
あぁ、これはもう
認めざるを得ないな。
「好きだ」
「……は?」
「お前が好きだ」
「えぇ……むり」
「おい」
「だってチャラいんだもーん」
ケラケラと屈託なく笑うその笑顔を
俺だけのものにしたいなんて。
柄じゃないにも程がある。
女なら誰だっていいって思ってた。
そんな俺を変えたのは
「じゃあ」
「これから落とす」
紛れもなくお前で。
「これから覚悟してろよ」
ユウナ
「夕凪」
目を見開いて驚いて
その後不敵な顔で笑うんだ。
「やれるもんならやってみなさいよ」
「あんたには落ちないから」
俺たちの物語は、これから始まる。