きっかけは些細なことやった。
小学六年ん時の参観会。
先生の思いつきでやった
ディベートの授業。
俺が負かした奴が
俺をいじめる側に回った…
そんだけの事やった。
そやけど、苦しゅうて
辛なって…しょうもなかってん。
1人やったいじめっ子は
数を増やしよった。
やがて傍観者も含めて
クラス30人きっかりが
いじめに加担するよんになった。
中学にあがれば
何か変わるて期待したけれど
むしろいじめはエスカレートした。
毎日毎日シカトされて
トイレの水飲めよて命令されて
従わんと情けもなく鉄槌される。
いつも身体は痣だらけで
けど心ん方がボロボロで
親には言えん
誰にも言えん
そんな中で学校行こと思っても
朝起きられへんようんなって
うまいこと起きられても
朝飯食う前に腹痛なって
オカンに急かされて
なんとか準備して玄関を出るんやけど
通学路ん立つと
酷い目眩と耳鳴りに襲われた。
そっからは
週五日行けてた学校へ
四日、三日、二日…どんどん
行けんようんなって
見事なまでの不登校児の完成や。
部屋引き篭って
眠るか、ネトゲに時間を費やす。
昼も夜もわからん。
もう中3や。
高校やなんて夢のまた夢やろな。
俺やなんて死んでまえばええんや。
最近、気抜けば自殺の方法考えよる。
ピンポン、ピンポン
昼下がり
家のチャイムがしつこく鳴りよった。
オカン、おらんのかい。
まあ、ええわ、無視しとれば
そのうち諦めるやろ。
俺はそうタカをくくって
しばらく耐えた…けど
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン…
あーーーーうっさいっっ!
ピンポン、ええ加減壊れるわっ
ピンポンの嵐に腹が立って
トイレすらポータブルにしとる俺が
いきおいで部屋の外に出た。
一言、言ってやらな気が済まん。
ずんずん進んで玄関先で言うたった。
「おらんのわからんのかい、こんボケ。どこぞのセールスや、貴様んとこの会社に電話かけて文句言うたんぞ」
不登校の引き篭りのストレス舐めんな。
俺は言いたいこと言うて、鼻を鳴らした。
「……貝ちゃん?」
ドキンと、心臓が大きゅう脈打った。
セールスやなかったことを知って
俺はすぐさま
部屋に戻ろうと踵を返したけれど
足が震えてよろめき
ガタガタと音を立てて
サイドボードに寄りかかってもた。
物凄い音に声の女もタジタジや。
「ね、貝ちゃん…だ。だいじょうぶ?」
貝ちゃん、それは
俺の苗字の貝塚からとったあだ名。
小学校の頃に呼ばれとったもんや。
小学校の時の知り合いは
ほぼ同じ中学に進んどる…
いじめが頭を掠める。
「誰やねん」
俺は、声を震わせて、聞いた。
「私、小学生ん時貝ちゃんと同じクラスだった山里杏莉言うんやけど覚えとりますか」
「何年前の話やねん。覚えとるわけ、ないやろ」
「…そうやよね」
玄関越しの杏莉は、少し笑ったよやった。
覚えとる。
毛先だけくるんとした天然パーマ。
色の白い女ん子。
手芸がうまて、椅子に腰掛けて
友達と笑いながら刺繍しよった。
引っ込み思案やで
あまし自分の感情表にせん子で
いつもニコニコ笑ろて
周りに合わせよった。
小一で同じクラスんなってから
小五の修了式で杏莉が転校しよるまで
ずと、ずっと杏莉んこと、好きやった。
忘れられるはずがないやん。
玄関の向こうに杏莉が居る。
四年も経っとる…
きと、可愛らしなっとるやろ。
見てみたい衝動に駆られたけれど
オカンが玄関に置いとる姿鏡に
自分が映っとった…。
汚れたスゥェット姿。
全身ねずみ色。
髪はぼさぼさ。
髭は不精に伸び続けとる。
飯には執着あらへんし
結果、痩せ細って筋肉何それ状態
不眠で瞼にゃクマが出来
目はうさぎよりも真っ赤やった。
杏莉と一緒に居った頃の俺は
まだいじめも受けとらんかった
はつらつとしていて
外で友達と遊ぶんが大好きやった
こんな姿、見せられへん。
「帰れ…」
「貝ちゃん、あのな」
「聞こえへんかった?…帰れて言うとんねん」
「うち…っ」
「帰れっ!!」
自分でも驚く程の声が出た。
キーンと、耳鳴りがした。
杏莉はしばらく黙っとったけど
「わかった」
沈んだ声でそう笑うと去っていった。
小さなってく足音が切ななって
俺はふらつきながら部屋に戻り
少しの間、涙に濡れた。
杏莉はもう来えへんやろ。
大事な機会失のうてしもた。
いや、ええねんこれで。
俺はずと、こんままや。
そう言い聞かせて、その日を終えた。
―ピンポン
来えへん思うとった杏莉は
次の日も、その次の日も、そのまた次の日も
俺ん家のチャイムを鳴らした。
オカンが居る時もあったし
俺しかおらん時もあったけど
俺は混乱状態の中
「帰れ!」
その姿勢を貫いていた。
逢うて話がしたい。
そん気持ちは日に日に大きゅうなってく。
そやけど不登校のまま引き篭りんまま
杏莉に会うんは何やちゃう気がして。
そやけど
この温室のよな部屋から
もう出たなかったん。
この部屋出てもたら
またひどいいじめにさらされるん
辛いこと仰山あるんやろ?
…怖かったん。
「もう来んなっ」
ある時俺は杏莉にそう言うた。
何度帰れ言うても
「帰るね」言うて
翌日また現れる杏莉に苛立った。
帰れ言い続けるんも楽やない。
傷つけ続けとるてわかっとん。
「帰るね」て言葉
そん日は聞こえんかった。
玄関の曇りガラスの向こうで
人影はずと、佇んどる。
やがて杏莉はこう切り出した。
「会わんでええから、話だけでも聞いてくれへん?」
「なんの話しがある言うねんな」
「…負けへんで…て覚えとる?」
負けへんで?
なんやそれ、俺は眉間にしわ寄せる。
「覚えてへんかもしれんけど、うち貝ちゃんに助けられとるんや」
「はあ?」
どんなに思い返して見ても
そなこと全然思い出せへん。
杏莉はゆっくり言葉を
噛み締めるように語とうた。
「うちの髪の毛くるくる天パでな、あん頃は色素も薄かったから、きっと外人さんみたいに見えたんやと思う。小一ん頃、女ん子ん中でシカトがはじまって、物無うなったり、そな事あって……」
杏莉の声は
しだいに震えて、涙混じりになってく。
俺もつられて泣きたなった。
「うちの大事にしとったキーホルダーが壊されて焼却炉に捨てられてた事があったんやけど…もう無理やあて、焼却炉んとこで泣いとったら」
「あ……」
思い出した。
杏莉はずば抜けて可愛ええ子やったから、女らがヤキモチ妬いて、意地悪しよった事があった。
放課後泣いてた杏莉を見つけてしもたら
いても立ってもいられんよんなって…
「貝ちゃんが来てくれたんや、頭ポンポンしながら、負けへんで?負けたらあかんよ、俺が居るよ、て言うたん」
杏莉は言うた。
「あん時うち、救われてん」
ありがとう、言うて
笑み声で俺に喋りかけた。
「杏莉……」
俺は思わず、名を呼んだ。
そんなら嬉しそに弾ませた声が返ってきた。
「思い出してくれたん!?」
「小5ん時に…転校していきよった杏莉やろ」
さも今思い出したよに取り繕う。
ずと、覚えてましたなんて今更照れ臭くて適わん。
「そやその杏莉や!」
「確か…横浜に越して行ったんや」
「そう!」
「横浜越した杏莉が何でここに居る」
俺が問い掛けると、杏莉は
少し言いにくそうに言うた。
「うち、またこっちへ越してきたんや。家すぐそこやねん、貝ちゃんと会えるの楽しみにしててんけど……学校で、その、ずと出てきてへんて聞いて…心配なって」
俺ん事、心配してくれる子が居った。
じわっと心が温かなってく。
そやけど、素直になる事を忘れた俺ん言葉は
吹き矢のよに杏莉に向かって飛んでいきよる。
「…同情やったらいらん」
俺はなんて阿呆なんやろ。
杏莉はこな酷い言葉吐く俺に優しく語りかけた。
「同情なんかやないの。貝ちゃんの顔見たかったの、貝ちゃんと一緒に居りたかったん、うちずと、貝ちゃんのこと好きやったから」
杏莉の手のひらが曇りガラスに触れる。
「なあ、貝ちゃん」
「なんや」
「負けへんで…?負けたらあかんよ」
「……っ」
「今度はうちが居る、一緒に居るよ」
「杏莉……、俺も……っ」
飛び出して
杏莉をこの腕に抱き留めたかった。
そやけど、こんな俺では
どうしたってそれが出来へんで…
そん代わりに杏莉の指先に
俺の指を重ねた。
ガラス越しの感謝、伝わったかな。
人生山あり谷ありと言いよるけど
そんなん嘘やと思うてた。
山のよな幸せやなんて俺は知らへん。
谷ばかしで苦しゅうて辛て
生きとるんが馬鹿馬鹿して
ありえへん、て
何度も匙投げた。
そやけど、信じてみよかなて
そんな気になって
その日、俺は長らく
清拭だけやった体を洗うべく
風呂に浸かって、伸びた髭を剃った。
もしかしたら一年ぶりの風呂は
気持ちええもんで…
涙が滝の様に出てきたけれど
風呂上がりの牛乳は、格別やった。
いつか、杏莉と
今まで苦痛しかなかった中学への
通学路を……歩めたらええなって
そう思うんや。
普通に中学行って
普通に勉強して
普通に部活やって
普通に…恋をして
当たり前のことを
新鮮に感じながら
杏莉と
一歩一歩進んでいきたい。
そん為に、出来ることから
はじめよ。
隠れんぼはもう終わりや。