キチドレ__・2019-03-11
東日本大震災
あれから8年
195、
「東日本大震災」
あの日から8年が経ちました。
あの頃の自分はまだ
4歳(年少)でした。
保育園にいたんだけど、
何が起こっているのかも
全然分からなくて、
でも、窓ガラスとかが
ガタガタ揺れたり
おもちゃが落ちてきたり
調理室で食器が落ちて割れたりして、
すっごく怖かった思い出があります。
地震は予想以上に大きくて
ラジオを聞いた時
津波の情報とかが入ってきて
難しい言葉は分からなかったけど
お母さんから教えて貰って
津波や地震の被害を
その時、初めて知りました。
死者 1万8000人以上
およそ2万人の人が亡くなりました。
その人達の家族は今でも
辛い思いをしているかも知れません。
だから、こんな事が二度と
起こらないように
震災の恐ろしさを次の世代に
教えていったり、
避難訓練をしたり、
一つ一つの積み重ねが
とても大切だと思うんです。
それに、
私はたまたま生かされたんです
この命を大切に生きたいと思います。
↑ ↑ ↑
言葉とかおかしくなってそうで
怖いんやけど、大丈夫かな?笑
綺麗事みたいになっちゃったけど、
東日本大震災の記憶を
大切にしていきたいです!d('∀'*)
2011.3.11.14:46
私達はきっとこの日この時間を
忘れることはないだろう。
そして、忘れてはいけない。
みなさん
東日本大震災のこと覚えていますか?
3月11日。。。その日はいつも星が綺麗です
星が綺麗なのはあの世からのメッセージ
昨日は月がとても綺麗でしたね!
きっとそれもメッセージだと思います
だって、こんな奇跡あると思いますか?
きっとないです
月がきれいって昨日はいつもより輝いていて綺麗でしたもの
昨日の月こそ、私たちへの生きてる私たちのためにメッセージを与えている証なのです
生きてる人がいつまでも悲しんじゃダメ!
生きてる私たちが亡くなった方のために意志を継ぐこと
それが私たちにできること。。。
私たちが今できること
続けられるのは。。。。。
”命を繋いでいく”という使命がある
何も出来ないわけじゃない
できるのはそれしかない!
死にたいって思っている人!
ダメだよ。。。東日本大震災出なくなった人達のためにどんなに苦しくても生きようよ!
私たちが生きている事に感謝して生きよう!
そして、命をバトンにして繋いでくこと!
わたしにできることは。。。
前向きに生きてポディティブに!
2011年3月11日午後2時46分
8年前の今日
東日本大震災という
大きな災害が起こった
その震災で多くの命が奪われた
若くして亡くなってしまった人や
自分の子供を亡くしてしまった人
大切な人を沢山失った
まだ行方不明の方もいる
今日はそのことを悔やみ
またあの日を思い出す日だ
多くの方々にお悔やみ申し上げます
毎日学校へ行ける事
授業を受けれる事
友達と遊べる事
大切な人と一緒に居れる事
大好きな家族と居れる事
暖かい家がある事
毎日普通に過ごしている日常が
〝当たり前〟の日常では無い
普通の日常が全て一瞬にして奪われてしまう
失ってからでは遅いのだ
だから毎日当たり前の日常を大切に生きて
1年後10年後ずっとこの先も
3月11日と言う今日この忘れてはいけない
今日は3.11。
明日はウチの誕生日。
8年前、
私は避難所で誕生日をむかえました。
その日、大雨警報が出ていて、
家の人の迎えを、
まだかまだかと待っていました。
そんな時に先生が慌てて付けたテレビ。
そこには、防波堤を越えてくる波が
リアルタイムで映し出されていました。
先生方がテレビの前で、
「うわぁー、おとばしなー」と
話していました。
当時小学2年生だった私は、
訳が分からず、
『この大雨で洪水なったかな?』
『ただの洪水やろ?』
なんて思っていたハズです。
けど、それは違いました。
やっと、おばあちゃんが
迎えに来ました。
そして、やっと家に帰れる!と
思っていた私と兄に
おばあちゃんが言いました。
「津波警報出とるけん、
避難所行くで」と、。
そこで『さっきのが津波なんや…』と
やっと気が付きました。
避難所に行けば、
よく見知った人たちもいました。
その避難所とつながって造られている、
もう片方の避難所に
お母さんがいました。
だから、そっちの避難所に行きました。
でも、お父さんはいなくて…。
やっぱり大雨やけん出とるんやな
とか思いながら、
上着にくるまって遊んだり
宿題をしていたらあっという間に
時間が過ぎていきました。
そして、寝る時間になり
渡されたブランケットに
くるまって寝ました。
その翌日、
私は誕生日をむかえました。
朝起きて、周りを見渡せば
「帰りたい」と言っている人たち。
私も帰りたかった。
「警報解除されるまで待って」と
言われたように思います。
でも、警報は解除されなかった。
その日の夕方か翌日の昼頃、
津波警報は解除されました。
8歳の誕生日、
今年もケーキ買って、
ワイワイ出来るんやって
思っていたけど、
そうじゃなかった。
8回目の誕生日は避難所でむかえ、
お父さんとお母さんと家に帰って
「今日誕生日やで!」と言っても
「おめでとうって言うていいのか
わからんけどおめでとう」
そんなニュアンスで言われました。
そして、
「そっか今日さくら誕生日か」と
言われました。
そんな、誕生日でした。
それから私は震災への知識を得て
どんどん3.11のことも
分かるようになっていきました。
分かるようになればなるほど、
『亡くなられた方のぶんまで
生きるんや』
そう思いながら誕生日をむかえます。
今年も、今日になってしまったけど、
しっかりそう思いながら
16歳を生きます。
16歳を生きるんです。
16歳を楽しみながら生きるんです。
私はよく“今”を
楽しみたいと言います。
それは“今”がどれだけ大切なのか
“今”生きられていることが幸せなのか
なんとなくわかるからです。
私が今の誕生日で、
東日本にいたら今頃ここに
いなかったかもしれない、
そう思うと『奇跡』って思うんです。
産まれてきたことが、
生きれていることが、
今生きていることが、
全部全部全部、…
『奇跡なんだ』って思うんです。
すごく複雑な気持ちの誕生日だけど、
すごく大切な誕生日でもあります。
だから私は、今日も生きます。
今日をむかえられなかった方たちのぶんまで
今日を精一杯、全力で生きていきます。
だから、死にたいって、
死にたいって、死にたかったって、
思ってしまう弱っちい私やけど、
私なりに、また1年、
頑張って生きます。
生きていきます。
今日を、
16歳を、
全力で楽しみ、
生きていきます。
絶対に忘れてはいけない日。
会いたいは贅沢な願い
既読のつかない連絡を
8年経った今でも待ち続けてるから
東大震災から8年ですね。
友達と遊べて
毎日学校に行き
働き
普通な日常に感謝ですね。