それはただの
〝哀しき〟愛情。
『もうころしてくれ』
NO
『ころせ』
NO
『ころせ』
NO
『それでも生きよというのか』
YES
「吾輩は猫である」より
#ほころびの庭
私は猫である。
名前はもうない
生きているかも見失うような
暗い狭い箱に捨てられた捨て猫である。
「ママ、あそこ見てほら」
「しっダメよ指さしちゃ?」
すれ違う人も追い越す人も
誰も私に足を止めることはない。
時折こちらを見ては
「汚、目合った最悪」
「誰だよあんなとこに子供置いたやつ」
そう呟いて
振り返り帰って行く。
私は誰にも拾われない。
拾われても困るが、
帰る場所がないということは
家がないということは
少しばかり寒いのだ。
そして私は
冷えた胸の内に手を置き
そっと眠りについた。
しかし、目が覚めると
そこは知らない場所だった。
白い壁に大きな部屋
ふかふかのベッドは私のものではない。
ここは天国か?
誰かが私を拾ったのか
いや、誘拐されたのだろうか
それとも
私はもう死んだのか。
すると、ガチャと正面の大きな扉が開いた
「起きたのかい?」
人あたりの良さそうな人間が出てきた。
この屋敷の主か?
背丈は私よりも高い。
ぴょんと跳ねた寝癖のついた男は
少し頼りなさそうで
だが、とても穏やかだった。
眼鏡で隠れているけれど
その人間の瞳は
薄い緑色で、とても綺麗だった。
その人間の
太陽の匂いは
私を懐柔しようとする。
「そんなに警戒しないで笑」
「とって食ったりなんてしないよ」
私はその人間を見上げた。
「君、名前はなんて言うの?」
私には名前がない。
「君、っていうのもあれだし
勝手に付けちゃっていいかい?」
名前など呼ばなくてもいいだろう。
そう思ったが
私は何も口にしなかった。
「君の髪は綺麗なブロンドだね。
金ちゃんとか?」
と、真面目な顔をしていうその酷いネーミングセンスに
「いいわけない!」
と少し大きな声を出してしまった。
「えぇ〜いいと思ったのになぁ」
馬鹿なのだろうか。
はぁ、と私はため息をついた
すると男は私の頬を手で掬いあげた。
フワッ「君は綺麗な目をしてるね。
綺麗な碧目だ」
そして穏やかな表情で笑った。
「シアン、君は今日からシアンだ」
私はその男の笑顔に目が離せないまま
「さっきよりは、ましだ」
と口を開いた。
「じゃあ決まりだね」
と、そういった時
コンコン「柊真様、食事の用意が出来ましたよ」
と、ガチャりと扉を開け
年老いた男が入ってきた。
「すぐ行くよ」
「柊真様、そちらは…」
「拾ったんだ」
「拾った?」
「そう、道端の箱の中に居たからね」
「またそのようなことを…」
「シアンだよ、田中」
「はぁ」
その男は一息ついて
「よろしくお願いします。
わたくしは執事の田中と申します」
と、私に丁寧に頭を下げた。
「で、僕は不知火 柊真。
とうまって呼んでいいよ」
しらぬい、とーま?
「ひつじと、とーま?」
「えぇと、わたくしは執事の田中でございます」
「ひつじのたなか」
「まぁ、それでよろしいですよ
不本意ですが」
「あ、そうだ田中。
食事の前に昔買ったけど着なかった服があると思うんだけど、どこにある?」
「一階の奥の部屋の棚に一式置いているかと」
「ありがとう、ちょっと待ってて」
そう言うととーまは部屋を後にした。
残された私とひつじは
無言のまま互いに沈黙を貫いた。
だがしばらくして、
ひつじが口を開いた。
「シアン様は、何歳でいらっしゃいますか?」
私の、歳か?
「恐らく、15か4か6、だと思う」
「幅の広いお歳ですね」
「ああ」
と、私は直ぐに会話を切ったが
「柊真様はお優しいでしょう」
ひつじはまた口を開いた。
「確かにとーまは優しいのだろう。
私を拾った上に
私に名前をくれた。」
「そうでしょう。だから貴方は」
言いたいことは分かる。
私はひつじを遮って言った。
「分かっている。私は私を特別だなんて思ってない。
勘違いはしてない。
この屋敷の仲間入りしたなんて思ってもいない
だからいづれちゃんとここを出ていく
少しだけ私が居ることを許してくれ」
わかっている。
これは特別ではない
とーまの気まぐれだろう。
優しさ故の、な
「…ふふ」
するとひつじは不敵に笑った。
「何が可笑しい」
「大変可笑しいです
貴方様は特別ですよ
ちゃんとこの屋敷の仲間です
わたくしと柊真様しかいなかったお屋敷に
貴方様が来てくれた
わたくしは嬉しいのです」
嬉しい?何故だ
「迷惑では無いのか?」
「どうしてですか?
美少年バンザイですよ」
コンコン「それは思春期の男の子にはセクハラに当たるんじゃない?ひつじさん」
「柊真様、遅かったですね」
「ああ、あまりに新品が多すぎて選ぶのに時間がかかったんだ」
そう言いながらとーまは
私に〝服〟を差し出した。
「これ」
「君にあげるよシアン。服がないと不便だからね」
「ねこ」
「え、あ、嫌だった?
別の柄がいい?」
「違う、ただ…」
「ただ?」
「私は他人からものをもらったことがない」
だからどうしたらいいのか分からないのだ。
無条件に奪われることはあっても
与えられることは無かった。
すると、目元がじんと熱くなった。
「なんだこれは」
「シアンは嬉しいんだよ」
「嬉しい?」
「僕からこの服を貰ってどう思った?」
「む、むねがあたたかくなっ、た」
フワッ「それが嬉しいってことだよ」
あ、まただ。
とーまはまた
先程よりも穏やかな顔で
今度は私を抱きしめて笑った。
サラッ「目、すごい」
私は無意識にとーまの前髪をすくい上げた。
「っ、ごめん」
するととーまは謝った。
「なぜだ?」
「え?」
「こんなにも綺麗なのに」
私はそう言って
とーまの目を見た。
「ほ、ほんとうに?」
「なぜ嘘をつく?」
「そっか。」
すると手をひらひらとして
とーまはひつじを部屋から出した。
そして口を開いた
「僕はね、普通の人と違うんだ。
普通日本人は黒髪黒目のはずなのに
僕はなぜか、薄い茶髪に緑色の目。
それがね、ずっとコンプレックスなんだ
他の人からは気持ち悪いって言われたり
おかしいって笑われたり
だから眼鏡で目を隠してる」
と、とーまは語った。
私はとーまを笑ったヤツらを
心底馬鹿だと思う。
「馬鹿だな、そいつらは
こんなに綺麗なのに。
安心しろ。お前は綺麗だ」
そう言うととーまは
また私を強く抱きしめた。
「でも、僕の本当の姿を知ったら
きっとシアンも僕を気持ち悪がるよ。」
「私をお前が決めるな。
私は私の思った通りにしか生きない
そう決めている」
フッ「君は本当に格好いいね」
「僕はね、男が好きなんだ。」
「そうか。」
私はじっととーまを見つめた。
「悪いがそれは
お前を気持ち悪がる理由ではない」
「むしろ尊敬に値する
私には人を好きという感情が分からないからな」
すると、そっと私の唇に
とーまは自分の唇を合わせた。
「これはなんだ」
「キスだよ。愛しいと思った人にするんだ」
「そうか。じゃあお前は私を嫌いじゃないのだな」
「そこ?」
「…?」
「まぁいいや、じゃあご飯食べに行こうか。
そろそろ田中に怒られちゃう」
そう言って私はとーまに手を引かれた。
着いた先は
さっきの部屋よりも少し大きな
長いテーブルの置かれた場所。
「ここに座って」
私はとーまが引いた椅子に座った。
だがしかし問題があった。
私は目の前に並ぶ2本の棒を
とーまに差し出した。
「これはどうやって使えばいい」
するととーまとひつじは目を合わせた。
「シアン、手を貸して」
そう言って私の手を握った。
「こうやって掴んで食べるんだ」
「これは、私が食べてもいいものか?」
「え?」
「私はこんなに美味そうなものを今までで見たことがない。
私が食べてもいいのか?」
そしてなぜだか
泣きそうな顔をしてとーまは
「いいよ、全部食べて。
分からないことがあったら僕に聞いて
何もかも全部教えてあげるから。」
そして、私たちは
時間を共に重ねた。
その時間は何一つ
無駄なことはなかった。
私はとーまに
たくさんのことを教わった。
もちろん、箸の使い方も
誰かに何かを与えられることが
嬉しいということも
何かに傷つくとそれは痛いということも
人に笑われるのは少し悲しいということも
また人を愛することは
出会うことよりも難しいということ
そして私は
生きていてもいいということ。
しかし、ある日
いつも目覚めたら隣にいるはずのとーまは
今日はいなかった。
「ひつじ」
「はい?」
「とーまはどこ?」
「ああ、えぇと」
ひつじは少し困った顔をした。
「柊真様は早朝から少しお出かけに…」
「そうか。」
私はこんなにも弱かっただろうか。
隣にとーまがいないだけで
胸が苦しくなってしまう。
「ひつじ、今日のご飯は美味しくない」
いつもとーまと食べているからか
味が全然しない。
ガタン
「あ、柊真様がお戻りになりましたよ」
「おかえり、とー…ま」
私はそういいかけたが、
「ああ」
冷たく濁るとーまの表情を見て
言葉が詰まってしまった。
そしてとーまは
一人部屋に戻って行った。
「ひつじ、今日は何かあるのか?」
ひつじは少し黙った
「今日は柊真様のご両親の
命日でございます…」
そして、小さな声で
そういった。
「命日とはなんだ」
「要するに、お亡くなりになった日、ということです」
「とーまの親が?」
ひつじは分かりやすく説明をしてくれた。
とーまが親に男が好きだと打ち明け
それに対して怒りを買った父親母親共に家を飛び出し
車で別荘まで向かったと。
だがその時、対向車線を走る車と衝突し
即死。
とーまは自分のせいだと
8年間自分を責め続けている。
確か少し前
とーまは私に聞いた。
『僕は生きてていいのかな』
『何を言っている』
『いや、少しね』
『お前が生きていないと
私は一人になってしまう』
『だけど僕は
ひとごろしだから』
ひとごろしとは
そういう意味だったのか。
私は部屋に向かった。
ガチャ
「っ今は来ないで」
するととーまは言った
だが、私はお構い無しに
部屋に入った。
そしてとーまを抱きしめた
いつか、こいつが私にしたみたいに
「お前はひとごろしではない」
「田中から聞いたの?」
「勝手にすまない」
「…」
「…私を蔑み笑いすれ違った人間は体ではなく心を傷つける」
「なぜだかわかるか?」
「…」
とーまは首を横に振った。
「それが罪だと知っているからだ。
だから体ではなく心を傷つける」
「なぜならそれは見えないからだ
証拠がなければ人は罰せられない。」
「だけどお前はそうじゃない。あんな奴らとおなじじゃない。
罪を背負わない人よりも
罪を背負う人の方が実際は正義だったりするのだ。」
とーまは静かに涙を流していた。
「教えてくれ」
「お前の涙を見ると私も泣きたくなる。
お前が笑うと私の胸は痛くなる
この感情はなんというのだ」
「それが、愛だよ」
とーまは涙を拭いて私に笑った。
「そうか、これが愛か…」
「ねぇ、シアンも話してよ」
「僕も君が知りたいんだ」
とーまはそういった。
だから私は話した、
「私には親がいない。
代わりに知らない大人に育てられた。
奴らは私をペットだと思っていた
そして私を灰皿のように扱い
殴り、私を嫌った
私も嫌いだった。何者にもなれない自分が。
だから私は私を捨てたのだ。」
『失敗作め!!』
『この、ゴミ!』
『お前なんか誰も要らねぇんだよ』
私は汚い。
私は可笑しい。
捨ててしまおう。こんな〝もの〟は
そして私はお前に拾われた。
「シアン」
「なんだ」
「愛してる」
「これを愛と呼ぶなら
きっと私もお前を愛している」
「こっち来て」
「だ、だめだ。
私の体は汚い
傷跡だらけなんだ」
「大丈夫。シアンは綺麗だから」
そしてとーまは
私の服を脱がせた。
愛してるよ
「とーま、」
「ん?」
「この家は大きい
なのに庭には何も無い」
「じゃあ今度花を植えよう
一緒に」
「分かった」
私は人である。
名前はシアン
ほころびの庭で
私たちは死んでゆこう。
長い年月を掛けて
罪深き二人よ____