「ちゃんと…!死ぬからっ!!」
私は最期に空を見上げた。
満天の星に包まれている。
いい最後、だね。
私は、目を閉じて
男に倣うべく一思いに
足場の欄干を力一杯に蹴った。
【Looking for Myself分岐~にゃん編~“生まれ変わったなら”第二話】
バッシャーンッッ
耳にこだまするような音だった。
目の前の男が深夜の川に
吸い込まれるように消えた現実に
頭がついていかない。
欄干の上から
恐る恐る真下に目を凝らせば
水面に波紋が揺らめいている。
静寂
恐いくらいの静寂だ。
一体、彼はどうなったの……
さっきまで、
死を覚悟していたのに
人の命が消えたかもしれない
この現実を
心底、恐いなんて思う。
やがて、
ジャバジャバと水面が沸き立ち
ぷはっと、息づく音が聴こえた。
彼は余裕で、髪をかきあげる。
「い……きてた……」
腰が抜けるようだった。
頬は独りでに涙で濡れる。
彼は大声をあげた。
「おい、次はお前の番だぞ」
「え……?」
「死ぬんだろ、早く来い」
笑うような声だった。
ここから飛ぶ……。
どうしたことだろう、足が震えた。
彼は、囃し立てるように言い続ける。
「運悪く生き残っちまったが、俺は飛んだぞ」
「運が良けりゃお前は逝けるさ、ほら来いよ」
そして、肩上がりの声で嘲笑う。
「どうしたんだ、恐いのか?…お前、本当は死ぬ気なんかなかったんだろ」
「ちが、違うっ」
私は本気だった。
本気で死のうと思って
欄干の上に立った。
この人生が辛くて、
この人生を終わらせようと
新しい私に生まれ変わろうと
ここを飛ぼうと決意したんだ。
私は、苦しくなる程
大きく息を吸って
吐き出し
波紋をたたせる彼を
じっと見つめた。
「……馬鹿にしないでよ」
「おー?」
何処までも嫌な男…。
こんな男に私の本気を
貶されたくなんかない。
「ちゃんと…!死ぬからっ!!」
私は最期に空を見上げた。
満天の星に包まれている。
いい最後、だね。
私は、目を閉じて
男に倣うべく一思いに
足場の欄干を高く飛んだ。
バッシャンッッ
水面に叩きつけられたかと思えば
身体が一気に水中へ引き込まれる。
叩きつけられたからなのか
水の中にいるからなのか
息が、出来ない。
吐き出すこともままならない。
全身がとてつもなく痛い。
咄嗟に目を、開く。
ぶくぶくと
気泡が沸き立って
水面へとあがっていく。
苦しい、痛い
やばいやばいやばい
苦しい、苦しい、痛い
痛い、痛い、苦しい
死ぬ
死んじゃう
煉炭の時……そうだ
私、やっぱり
死にたくないって…
思ったんだっけ。
そんな事を考えながら
なんの抵抗も出来ず
意識が落ちていく
その時だった。
私の腕を男が引っ張り上げたのだ。
私は彼の力一つで
水面へと引き上げられてしまった。
「うぇ、げほ…っ」
息が吸い込まれるより早く
呑み込んだ水を嘔吐する。
冬に1000mを全力疾走した位
絶え絶えに呼吸する喉が痛かった。
死にたかったのに…
何度も何度も身体が生きようと
必死に空気を取り込んで
やがて声が出せるようになった時
私は私を助けた彼に当たり散らした。
「なん、なんで……!?なんで助けたのっなんで!」
「面白そうだなと思って?」
月明かりに照らされて
卑屈に笑う彼の顔が
網膜に焼き付いた。
血色の悪い肌。
死んだ魚のような目。
水のしたたる黒髪。
目元のホクロ。
心臓がうるさい。
「やっぱお前ピーチク面白ぇじゃん」
胸の高鳴りを
どこかへ追いやるように
私は彼に言葉を吐き捨てる。
「なん……って男!!」
「そりゃ、どーも」
動じない彼は
私を担ぐ形で
岸辺へ向かって泳ぎ出した。
「離せ、離せよっ!」
使ったこともないような暴言を
浴びせかけても
「威勢のいいガキ」
そう返される。
肩の辺りを思いきり叩いても
「蚊に刺されるより痛くねえよ」
と、悪態をつかれる始末だ。
岸辺に着いて降ろされる頃にはもう
私は抵抗する気を失っていた。
呆然と降ろされた、
堤防の斜面へと膝をつく。
彼は、何事も無かったかのように
置きっぱなしになっていた私物を
リュックへと詰めると
それを担ぎ上げながら私に尋ねた。
「お前、行く宛ては?」
そう聞かれて
ぐっと、下唇を噛む。
出ていけ、
父にはそう匙を投げられた。
帰れる家なんてもうない。
そう思えば
途切れるすべなく
涙が湧き出た。
その様子を見た彼は
「追い出されでもしたか優等生」
やっぱり私を笑いあげる。
「好きなだけ…笑って下さい」
私はひどく疲れて、
ポツッと一言だけ呟いた。
すると彼は、あー、と唸り
濡れて前に垂れた髪の毛を
かきあげながら
「しゃあねえな、泊めてやる、来い」
そう言う。
「は……?、何?」
「いいから、来いよ」
彼は、驚くほど冷たい手で
私の手首を無造作に引いた。
「いや。いい、いいです」
「気がかわる、行くぞ」
何処までも勝手気まま。
そんな彼の強引な誘い。
この細い身体のどこに
こんな力があるのだろうと思う程
強い力に導かれて私は
彼に着いてゆく。
全身ずぶ濡れの二人。
しかも私は
寝る間際の服装に
ブラもつけていない。
そんな格好をしているのに
彼はお構い無しで
人通りの少ない場所から
繁華街を抜けていく。
濡れて透けたワンピース。
飲み屋帰りの
おじさんたちの視線の的だ。
恥ずかしい…。
「お嬢ちゃんどうしたの?」
彼が掴む手首とは逆の腕を引かれ
声をかける中年男に思わず戸惑う。
「あ、…あの、えっと」
「可愛いねぇ、おじさんと何か食べに行こうかぁ?」
皮膚が腐ったような加齢臭と
お酒の臭いが混じり合う中年男は
事もあろうに頬擦りしようと
私に近付く。
「やっ…」
思わず身を引くと、
彼が中年男の胸の辺りをどんと押し
「俺の獲物に手ぇ出すな」
そう言って中年男を黙らせた。
見ず知らずの私と一緒に死ぬと言ったり
欄干から平気で飛び降りたり
貶したり、助けたり……
本音が全く見えてこない。
「ねえ、あなた名前は…?」
私は彼の後ろ姿に声をかける。
「……黒須世名」
くろす、せな……?
珍しい名前なのに
どこか聞き覚えがあった。
かと言って
こんなドラキュラみたいに
顔色の悪い男に知り合いはいない。
どこで聞いた名だったろう。
私が考え込むと
彼は卑屈に笑い言った。
「これだからガキは。人に尋ねておいてそれかよ」
「あ……私は……新山まや」
「へぇ、あらやままや…、早口言葉みてえな名前だな」
「……余計なお世話です」
足早な彼に着いていくのがやっと。
息を切らせて私は唇を尖らせた。