そこに消えかけた、
生命がありました。
「やったん、頑張れ」
「ん、うん、」
その生命は
小さな頃から病と闘い
懸命に生きた生命でした。
小さな体で
たくさんの検査に耐え抜いて
身体が大きく成長しても
たくさんの治療に向き合い
たくさんのお友達の死を
乗り越えて
それでも生きたいと
願い続けた生命でした。
そして辛さを乗り越え
苦しみを堪えて
闘い続けた生命でした。
けれど
残念な事に生命の長さは
決まっているのでした。
やったんは、
お父さんとお母さん
お姉ちゃんやお兄ちゃん
そして優しい彼や
たくさんのお友達に
看取られて
快晴の空を
真っ直ぐに
まるでやったんの
人生のように
真っ直ぐに
天国へと
昇っていったのでした。
地獄行き
天国行き
その看板の前で迷うと
優しそうなおじいさんが
教えてくれました。
「おじょうちゃんは天国行きだよ」
「……地獄へ行く人は?」
「生命を諦めた人なのさ」
「そう……」
哀しそうに呟くやったんは
何を思ったのでしょう。
やったんはお花畑の中を
進んでいきました。
ずっと、ずっと
長い入院生活でしたから
花に触れるのも
外の空気を吸うのも
鳥の歌声を聴くのも
とても新鮮です。
やったんは
知らず知らずのうちに
笑顔になりました。
痛みのない身体で
すっかり涙の乾いた目で
無理のない笑顔を作ります。
その笑顔は
夜空の星より輝いて
花々の息吹より力強く
愛しい人の愛情と同じくらい
優しいものでした。
やったんの脳裏には
小さな頃からの
想い出が走馬燈のように
駆け巡り始めました。
病院がおうちというくらい
長い、長い入院に
嫌気がさして
泣きわめいて
お父さんやお母さんを
困らせた事もありました。
そんな時すら
辛抱強く
優しく心を包んでくれた
お父さんやお母さんに
やったんは祈りを捧げました。
お父さんとお母さんが
いつまでも元気でいますように。
すると、足元にあったタンポポの綿毛が
ちりん、と音を鳴らせて
下界へと降りていきました。
治療が嫌で暴れたやったんを
先生が無理やり押さえつけて
治療をした事もありました。
薬の副作用で
ご飯が食べられない時に
鬼のような顔をして
看護師さんが
怒った事もありました。
そんな時すら
匙を投げずに
寄り添ってくれた、
先生や看護師さんたち
やったんは
深い感謝を胸に
祈りを捧げました。
どうか先生たちが
これから先も
たくさんの子供たちを
救ってくれますように。
すると、足元にあった、
ボタンヅルの綿毛が
風に乗って下界へと降りていきました。
闘病は苦しかった。
もう頑張れないよ
もう無理だよ
そう弱音を吐いた時
お兄ちゃんやお姉ちゃんは
もういいよとは言いませんでした。
繰り返し、繰り返し
やったん、頑張れ
そう、口にします。
その時は
何も分かっていないと
思っていましたが
今、思えば
お兄ちゃんとお姉ちゃんが
ああ言ってくれなかったら
生命を諦めてしまっていたでしょう。
兄姉の優しさを胸に秘め
やったんは祈りを捧げました。
どうか、お兄ちゃんとお姉ちゃんが
この先ずっと笑っていますように。
すると、足元にあったノゲシの綿帽子が
ちりん、と音を立てて
下界へと舞い落ちていきました。
お友達は
やったんの具合が悪い時には
言葉をなくしてしまいます。
だから元気なふりを
しなくてはなりませんでした。
いつの間にか
やったんの口癖は
「大丈夫だよ」
その言葉になりました。
でもやったんは知っていました。
お友達はやったんが苦しい時
一緒に苦しんでくれていたのです。
お友達との友情を握りしめ
やったんは祈りを捧げました。
どうかお友達が
涙に暮れる人生を歩みませんように。
すると、足元にあった、
アザミの綿毛がちりん、と
音をさせて下界へと
吸い寄せられていきました。
ずっと、そばに居てくれた彼にも
苦しくてどうしようもない時
心にもない言葉を
吐き出した事がありました。
そんな時、彼はいつも笑って
そんな暴言なかったかのように
「大好きだよ」そう伝えてくれました。
彼への愛しさに胸を焦がしながら
やったんは祈りを捧げました。
どうか、彼が
私の死を乗り越えてくれますように。
すると、足元にあったクレチマスの綿毛が
ふわっと春に舞い、下界へと旅に出ました。
他にもおじいちゃん、おばあちゃん
学校の先生と、クラスメイト
一緒に闘病した同志もいたし
喧嘩して別れた幼なじみも。
ひとりひとりに
祈りを捧げる度に
たくさんの種が
下界へと降りていきました。
その種は地上の
やったんの大切な人の元へ
舞い降りると
やがて幸せの花を咲かせます。
お父さんとお母さんは
年老いるまで仲良く元気に暮らし
先生や看護師さんは
たくさんの子どもたちを
生涯にわたり救いました。
お兄ちゃんとお姉ちゃんは
幸せな結婚をして
ずっと笑顔で暮らし
やったんのお友達は
平坦な道で幸せを拾い集めながら
生きることが出来ました。
そして
やったんの彼は
やったんの死を乗り越え
強く強く生きました。
ただ、月命日には
そっとやったんを想い
やったんが大好きだった笑顔を
空に向けることを忘れません。
やったんの祈りの種は
全て花開き
みんなの心に
咲き続く花となりました。
今まで関わった全ての人の幸せを
願う心優しきやったんは
神様から大きな贈り物をもらいました。
転生の機会です。
お父さんやお母さん
お兄ちゃんやお姉ちゃん
お友達に、彼
みんなが天寿を全うして
天国に揃ったら
もう一度、
みんなで世界を生きるのです。
今度こそ
今度こそ
大切な人たちと
なんの苦しみなく
笑い合える毎日が
遠い未来に必ず訪れます。
さよならは
寂しいから。
だから
亡くなるその時も
いつもみたいに
またね、で
手を振りましょう。
***
昨日、贈り物を下さった方の
大切な方が病で
意思疎通が困難な状態であると
いう話を聞きました。
コロナで会いも行けず
今、自分に出来ることを
したいのだと言っていました。
死を怖がっていたその人の為に
抗いようのない死に向かい歩む人達に
死は怖いものではないのだと
そう言った趣旨のメッセージを
投稿してくれないかと。
死って、なんだろう
生きるってなんだろう。
今までにないくらい考えました。
今まで俺は
死にたい人たちへのメッセージや
悩み苦しんでいる方々への
メッセージを数多く投稿してきましたが
それは
こういった死を肯定した話を書くことで
死にたい子達の気持ちを
助長してしまうのではないかという、
恐さがあったからです。
マスクの時もそうでしたが
病や死というものへ取り組む中で
痛み、のようなものを感じる事への
恐怖心というのもあったと思います。
今回、この話を受けて
書こうと思えたのは
彼の彼女に対する愛情を感じ
その中から彼女の強さを
感じえる事が出来たからです。
一番は
病を克服すること。
また笑い合えること。
でもそれが無理だというのなら
天国の幸せを
信じて欲しい。
どうか
諦めないで欲しい。
命長らえても
命途絶えても
未来は繋がっているのですから。
これまで、よく頑張りました。
はなまる、あげます。
あとすこし、
一緒に頑張ってみましょうか。
きっと、みんなが
そばにいてくれます。
どうか
意識が戻りますように。
どうか
コロナが落ち着いて
彼らが何の障害なく
会えますように。
こんな拙い文章で
本当にごめんなさい