#海月と先生

先生が好き。
でもだからこそ、絶対に嫌われたくない。
だから、まだこの気持ちは
心の奥にしまっておく。

先生のくしゃっと笑う笑顔が好き。
黒板に書く、角張った字が好き。
赤のインクは嫌いだからと
絶対に青いペンしか使わないところが好き。
ラーメンの形のUSBを電子黒板に差したまま、
毎回忘れていっちゃうのが好き。
何気ない先生の仕草やこだわりが、
ぜんぶいとしい。

部活のとき、なるべく窓際の席に座る。
美術室の大きな窓いっぱいに広がる桜や、
遠くに見えるすこし青みがかった山々。
でもそれだけじゃない。
1番は、テニスコートから坂を登ってくる
先生の姿を目に焼き付けたいから。
夕焼け色に染まったスーツも、
陽光を反射してちらちらと光る髪も、
私に気づいてこちらを見上げる双眸も。
そのどれもが
デッサンの手を止めてしまうほどに
うつくしくて。
山も空も先生も、
うすいセロファンでつつんで
そのまま取っておきたいようなひととき。

あと3年。
先生、待っててくれますか？

"祝 入学"
校門前にはその三文字が踊っている。
内進生だから
入学式に対しての緊張というものはない。
しかし私の心臓は
隣にいる友達にまで聞こえそうなほど、
ドクドクと脈打っていた。
私が気になるのは一つだけ、
先生のクラスになれるのか否か。

玄関前のクラス表らしきものが目に入った。
より一層鼓動が加速する。
ふぅ、と深呼吸をして空を見上げる。
入学式だと言うのにどんよりと曇っている。
ぶあつい雲の向こうにあるはずの太陽は、
私に姿を見せてくれる気はないようだった。

先生のためだけのポラリスになりたい。

もし4月から、
先生のクラスになれたなら。

もう3ヶ月以上前のこと。
当初10月に行く予定だった修学旅行は
延期に延期を重ね、
次延期になったらもう行けないよ、
と言われていた。
12月にやっと修学旅行に行けることになり、
それはもう上機嫌で
荷造りをしたのを覚えている。

行先は近隣の公立中学では珍しい、東京。
初めて見た空まで届きそうな高層ビル、
一度は直接見てみたかったパンダ、
思ったより水に濡れたアトラクション。
見慣れないものと触れ合うたび、
胸の奥がきゅうと傷んだ。
心の底から、先生にあいたいと思った。
もちろん、
修学旅行自体はすごく楽しかったし、
たくさん思い出が増えた。
だけれども。
刺激が多すぎて
落ち着ける場所がなかったのも事実だ。
眉を八の字にして笑う顔が、
くるりとパーマのかかった髪が、
教科書を小脇に抱えて歩く姿が、
とてもとても、恋しかった。

学校へ帰ってそれを伝えると、
ちょっぴり裏返った声が返ってきた。
｢俺、そんなふうに思って貰えとったんや。｣
それどういう意味ですか、先生。

部活から帰る時、わざと職員室の前を通る。
節電のために電気の消された廊下は
少し不気味だけれど。
ちょうど帰ろうとしている
先生に話しかけた。
数分ほど理科の話をしたところで、
ねえ先生、と言いかけて口を噤んだ。
なにか言いたそうな顔の
先生の口に指を当てる。
なんでもないですよ、今はまだ言いません。
大袈裟に眉を上げて目を見開く先生は、
私と同じ廊下の色に染まっていた。
深緑とも濃紺とも言えない、
絶妙なあの色に。
そうだ、先生。
今度の誕生日にはリナリアの花をあげます。