約束
「…こちらマーメイド1ごう、いじょうなしです、どーぞ」
ざざッと入り込むノイズとマイクに近すぎる大声に了解と返事する。
ゆうちゃんは某夢の国が好きで、自らをマーメイドと称している。マーメイド2号はトイザらス出身の青いトリケラトプス。俺はというと、
「もー、ちゃんとおへんじして、どーぞ」
「…セバスチャン、了解」
人語を解するカニである。
ゆうちゃんがほしいとねだるのでトランシーバーのおもちゃを購入したはいいものの、毎日のように公園に行って探偵ごっこをするのにも飽きてきた。
いまごろママは何してるんだろうと考える。腕時計の短針は11と12のあいだで居心地悪そうにしている。空腹で胃が熱い。風とも言えない砂っぽい空気が鼻にまとわる。今日も花粉がやばいらしい。
「セバスチャン!」
無言だったトランシーバーから声が飛び出した。顔をあげるとゆうちゃんがいない。
トランシーバーの向こうに呼びかけるが、ノイズにかき消されてしまったようだった。
公園の外に出ていないことを願いつつ、砂場やブランコのまわりを確認するが見当たらない。もういちどトランシーバーに声をかける。
「もしもしゆうちゃん、どこにいるの?近くになにがある?」
「…常に目で追っててって何度言えばわかるの?馬鹿じゃないの?」
耳を疑った。ママの声だ。
俺は言葉を失って公園の真ん中で棒立ちになってしまった。知らない子どもとばっちり目が合ってしまって気まずい。
「ゆうちゃん、じゃなくってマーメイド1号は自販機の横にいるから。さっさと帰ってきなさい」
公園が遊具ごとぼやけた。その摩訶不思議さになんの驚きもなかったことが、自然のようにさえ思えた。
マーメイド1号はおなかがすいたので自力での帰宅を試みたことを白状した。セバスチャンは置いていかれて悲しいです。泣き真似をしたらマーメイドはなぐさめてくれた。
帰り道、パン屋で食パンとアンパンを買った。家に着くころには両者ともゆうちゃんの強い抱擁によって真っ平らになっているだろう。
ママは去年の春に交通事故に遭って亡くなった。居眠り運転の餌食となってそのまま帰ってこなかった。
助けを求める声で目が覚める夜はあと何回あるだろうと嘆息してしまう。俺の脳は都合の悪いことばかり覚えていやがる。
ゆうちゃんがパンを放り出して手洗いうがいをしている隙に、木枠のなかでぎこちない笑みを見せるママと向かいあう。
もう声は聞けないのかな。
という言葉がのどにつっかえる。
欲深いねと笑われた気がして背中を丸めた。
愛情ってやつがこんな数十センチの四辺に収まるはずがなかった。
ダイニングテーブルに置いたトランシーバーが、ざざ、と唸った。
そういえばママは空気を読むのがうまかったなと思い当たってしまって心臓が主張を増していく。
正座で痺れた足を叱りつつそれをひっつかむと、かすかに声らしきものが耳に届いた。
「…合言葉は?」
なにそれ知らない。
声に感情こそこもっていないが確実にママだ。
困惑する俺の足元でゆうちゃんはちいさな手を日光にかざしながら寝転んでいる。
思いだした。結婚してすぐのころ、帰ったときに玄関前で毎日言ってたやつだ。
無言を貫くトランシーバーを口元に持ち直し、はっきりと声にした。許してくれという期待も込めて。
「…認証。」
今度は俺から尋ねる。
「…こちらセバスチャン。応答願います。どうぞ」
しばしの沈黙は、永遠だったものとなったのだ。
…こちら、マーメイド3号。
約束は果たされた。
闇夜・2023-05-06 #小説リハビリ #この世界は残酷らしい
