第一章-五話「時戻り」
赤い花が広がった。
数時間前、金属バットで親父を殴った。親父はまだ生きている。そのことに僕は安心するわけでもなく、救急車を呼んだ込山って男を恨むわけでもなかった。何故かはっきりと残念とは思えなかった。
下しか見れない。警察官が、硬く丈夫そうな手で僕を外に連れていく。その制服の厚い生地が背中にあたって、現実感が増す。拳銃、暴発しないかななんて考える。
春夏秋冬、母さんがしんだ時も、通ったいつもの出入口が、とてつもなく嫌に感じた。
*
「藤竹!」
そう云って赤い光の奥から大きく手を振りながら近づいてくる人影の一人は、摩訶不思議株式会社営業課、込山さんだった。最初に会った時と同じスーツ姿だ。思わず藤竹と私は「えっ」と声を揃えて驚く。
「ねえ、なんで込山さんいるの」
分かるはずもないのに混乱して藤竹に訊く。
「さ、さあ……俺なんか怖い」と、この寒さからか少しの怖さからか自分の腕を抱いて目を細める藤竹。
ここは県内、摩訶不思議株式会社の本社もこの県内にあると藤竹から聞いた。単なる偶然だと思う。というか、あちらの込山さん側からすれば、黒装束という怪しい格好をしている藤竹を見つけられない方が変か。
「込山さんはあんたのストーカーとかじゃなく同期さんでしょうが。ただの偶然でしょ」
「同期っていうか俺あんま出勤してないから会った回数少ないし……」
車内でも同じようなことを言っていた気がする。込山さんはいつも藤竹に心の距離をとられている。そんなことは露知らず込山さんは駆け足のスピードを緩めながら、切れ長な目を細めて笑っている。
「それでもあっちは気にかけてくれてるってことじゃないの。前に家まで来てくれたし」
「藤竹! なんでここに?」
膝に手をついて少し息を切らしながらも笑顔を崩さず込山さんは云う。走ったことによるものとは別で、疲れているように見えるのは気のせいだろうか。その後ろから眼鏡をかけた同じくスーツ姿の女性が早足でやってきている。
「あー、知り合いに会いに来たってとこかな?」と、藤竹は分かりやすく込山さんから目線を外して誤魔化す。
「へえ……あっ、あの時の! 藤竹のお友達ですよね!」
「ええ……まあ」
込山さんが私に気づき、〝お友達〟なんて余計なことを云う。実は藤竹の家で込山さんと初めて会った時、本人が寝ているのをいいことに、調子に乗って自分のことを込山さんに『藤竹の友達です』なんて説明をしてしまったのだ。
「ちょ、込山に俺と友達って言ってくれたの!?」
「うっさい!」
「理不尽」
嬉しそうな顔をする藤竹に、完全な否定はできなかった。
「ふっ」
いつの間にか込山の隣にいた、眼鏡の女性が静かに笑う。向き合ってくだらない会話をしていた私と藤竹が同時にその女性を見る。
「あ、この人は最近入ってきた人でね。でも年齢的には俺の二個上の」
「蓮見鷹世といいます。どうぞよろしく」
女性ではあるけれど、中性的な人だった。一見すると自分で切ったかのような長めのショートカット。前髪が右目を隠していて、残りの前髪を左耳にかけている。ずり落ち気味の半月型の眼鏡の奥に、三白眼の目が力強くあった。怖い印象の見た目だが、その落ち着いた声を聞くと不思議と怖いとは思わない。けれど哀しい雰囲気を漂わせていた。
「藤竹骨です! 一応込山と同期です」
「一応って言うな。あっ、馬瀬千寿子と申します。私は、こいつの……えっと」
なんと言うべきか考えてしまって言葉に詰まる。
「お友達、ですよね」
耳から垂れ下がった前髪をひっかけ直しながら、微笑んで云われた。年上の、大人の余裕だろうか。一応私も成人済みだがそれでもどこか遠く感じた。
「……まあ、正確には隣にいるだけというか。〝見つけてもらった〟というか。家がお向かいさんってだけで。今も、連れてこられただけですし。その、違いますけど。一応そんな感じです」
恥ずかしさと、〝思い出してしまう〟つらさを、抑え込もうと早口になる。顔が熱い。
「一応って言うなよーっ!」
言い返されてしまった。
「ところで、二人はこの夜中に何を? 正直言って隈すごいけど」
真面目な声になって訊く藤竹。だが深く被った黒装束のフードに隠れてその横顔が見えない。車の中でも感じたようにいつもだけれど、こういう時の藤竹はどこか既視感があって。
確かに藤竹の言う通り、二人の目の下には隈がくっきりとあった。瞼も半分落ちきっている。どことなく言葉も消え入るようで心配だ。
「あーやっぱ分かる? 残業ってやつだな。時間も忘れてそこらじゅう訪ねてた。それにあんま寝てねえんだ」
「だろうね。睡眠は大事だよ」
無理はしていない様子だが、明らかに声がかすれている込山さん。藤竹は返答が早く、いつの間にか二人を観察するような目をしていた。
「そうだよな……。しかもこんな寝てない状態で限定品売りまくっちまうし。俺クビかなあ」
「限定品を粗末に売るのは、開発に携わった人間としていただけないけど。クビにはならないと思うよ」
〝限定品〟それを二人はこの夜中に売っていたようだった。私から見ても駄目ではあると思うが、ボロボロな二人を見て責める気にはなれなかった。というかほぼ初対面だし。藤竹もそれほど怒ってはいないようだ。
「お前優しいな。ほんとごめんな。あーこんままさっきのこと忘れられそう」
「さっき?」と私に問われ、込山さんは顔をさらに暗くして、背後のマンションやパトカーを振り返って見た。
それにつられ、蓮見さんも目を細め、黙って振り返る。四人のデコボコの影が、薄く長く伸びている。
「限定品である〝時戻りの石〟を、さっき訪問販売で売ってたんですよ。熊川緑郎って中学生の男の子に。まあこれも若干だめだったと思うんだけど」
静かに込山さんが語り出す。
「家に上がらせてもらって商品説明しててさ。俺蓮見さんの所謂教育係っていうか。だから一緒に行動してたんだけど。時戻りの石買ってもらって、さあ帰ろうって時に蓮見さんが見ちゃって。その……倒れて気を失ってる緑郎くんのお父さんを」
「うわあ」と、藤竹は無意識に声を出しているようだった。
「混乱したけど、緑郎くんに訊いたら『僕がやりました、殴りました』って言うもんだからさ。警察呼んどいた方がいいよねってことになって。蓮見さんに通報は頼んで、俺は緑郎くんが逃げないように腕掴んでたんだけど。何故か緑郎くん逃げようとも隠れようともしないし。暴れたりもしなくて」
「あのパトカー込山たちが呼んだの!?」
注目するところがおかしい。その緑郎という男の子が父親を殴ってしまった方よりも、パトカーを込山さんと蓮見さんが呼んだことに驚いている。やはり藤竹は時々ずれている。
「ああ。緑郎くんのお父さん幸いにもまだ息があって、さっき救急車で運ばれていったよ。緑郎くんはまだ家ん中。俺たちさっきまで色々警察に訊かれててな。正直言って疲れてる。寝たい。ただでさえ寝不足なのに」
「それはしんどいな。お疲れ。蓮見さんもお疲れ様です」
「いえ」と、どこか遠くを眺めていた蓮見さんが、向き直って藤竹に少し頭を下げた。
「というか、その時戻りの石? ってなんなんです」
純粋な疑問が口に出ていた。なんだか一人置いてけぼりな私に、藤竹が私に云う。
「ああそれはな」
・・・
藤竹と摩訶不思議株式会社が共同開発した期間限定販売の商品であることなど改めてざっと、〝時戻りの石〟についての説明を受けた。
「ああ、さっき車の中で言ってたやつがこれか。なんだか難しいな。私には無理。名前まんま時戻りできるものってことだけ頭に入れとく」
「ああ、それでいい。まあ馬瀬は俺の作るもんに興味ないもんな!」
「覚えたって無駄っちゃあ無駄かな」
「おおい、なんてこと云うんだ! 覚えといて損はないぞ? 事前知識ありで誰かが時戻りするのを見てると、他の人とは違って時間が改変されても記憶を失わないんだぜ! しかも記憶があることで行動に関しても改変の影響を受けず、その日の行動がなかったことにはならないで、自分や物がどっかに消えたりせず、立ってる場所も変わらずだ」
「あー……でもだんだん事前知識ってやつを持ってる人が増えると記憶を保持できちゃう人が増えるわけだから、時戻りの石の意味がなくなってきそう。あ、だから期間限定?」
「そうなんだ。ここが難所でね。今の俺の技術じゃこの部分が取り除けなかった。意外と難しかったんだ。思えば今まで作ってきた商品たちは、使用者個人の身体や内面に焦点を当てるようなものが多かった気がする。だが、過去へ意識が飛んで行くタイムリープをするこの時戻りの石は、改変などで周りに大きな影響を及ぼす。こういうのを作るのは苦手分野かな。悪用される可能性も増えちゃうしさ。まあ期間限定だからこそ、この商品は輝くのかもしれないね」
藤竹は嬉しそうに語る。
「出てくるぞ」と、込山さんがマンションの方向を指差した。
見ると、警察官に肩を掴まれて俯きながら出てくる少年の姿があった。部屋着のような姿だ。胸が痛む。それは熊川という少年やその父親への同情の気持ちなのかは分からなかった。
「嘘だろ、下駄少年」
藤竹の一言で分かった。今すぐそこで連行されている熊川緑郎と、藤竹を呼び出した下駄少年は同一人物だと。
「え、何知り合いだった?」
「俺らをここに呼んだ、少年だよ」
「は? え、藤竹と馬瀬さんは緑郎くんに呼び出されたって? ……まじか」
込山さんは混乱した様子で、髪の毛をわしゃわしゃと掻く。
「……まずいな」
藤竹が視線を逸らさないまま、身構えた。
私にはその意味がよく分からなかったが、込山さんも蓮見さんも何かを察したように、じっと少年を見ていた。
熊川少年が、ズボンのポケットから何かを取り出す。桃色の、石のような塊だ。それを自分の口に運んだ。
藤竹が叫ぶ。
「くそ、時戻りだ!!」
(終わり)
-登場人物-
●馬瀬千寿子
読み:ませ ちずこ
主人公「私」。女性。少し下向きな性格。二話から藤竹に借りた大きいパーカーを羽織っている。藤竹と友人の仲。藤竹のことを「変人」「馬鹿」と言うことが多い。だがなんだかんだで一緒にいる。
太陽が出ている時間のことを夜と呼ぶ。
●藤竹骨
読み:ふじたけ こつ
謎が多い男性。推定二十代?少々天然(馬鹿)。だが薬を開発するほどの頭脳は持ち合わせている。
摩訶不思議株式会社営業課所属(だが幽霊社員)。それとは別に星屋という看板を掲げ、自身で開発した不思議な薬を夜な夜な売っている売人。運転免許取得済。
昔、昼夜の概念が今とは逆だったと言い、自身も太陽が出ている昼に起きて月が浮かぶ夜に寝る。この説はこの世界ではおかしい、そんな藤竹を周りは変人と呼ぶ。
●熊川緑郎
読み:くまがわ ろくろう
一話で主人公「僕」だった「下駄少年」。男性。中学二年生(成長期)。わりと冷静で達観しているけど、少し精神的に不安定。サンダル感覚で下駄を履く。父親が嫌い。
一人だけ友達がいる。その友人はオカルト好きで「昔は昼と夜が逆だったんだよ」と藤竹のようなことを言う、そこらをフラフラしているような人間らしい(一話参照)。
馬瀬と同じく、太陽が出ている時間のことを夜と呼ぶ。
●込山蛇蓮
読み:こみやま じゃれん
摩訶不思議株式会社営業課勤務の男性。年齢不明。藤竹とは会社の同期。だが藤竹にはそんなに仲良いとは思われてない。そのことは込山本人は知らない。
蛇っぽい顔らしい。
●蓮見鷹世
読み:はすみ たかよ
摩訶不思議株式会社営業課所属。女性。番外編「転機」で主人公だった。年齢は番外編冒頭の描写からして少なくとも三十は越えている。
眼鏡をかけている。
-あとがき-
ここまで読んで下さりありがとうございました!
毎回振り返れるように登場人物まとめてるけど、ちょっと長いからもっと短くしないとな。
この小説が昼夜の概念逆な世界観なのは、ファンタジー感を出したかったからです。普通の私たちが住んでいるような世界の中で藤竹みたいな奴がいては違和感がすごいので。いやどちらにせよ変な人だから違和感すごいか。
ちなみにですが、この次の投稿で、とあるキャラクターの心情のポエム?詩?を書きました。タグからも飛べます。誰の話なのかは秘密です。いずれ分かるようにしてあります。
最後に。もし良ければですが、感想をいただけたら幸いです。六話はまた投稿すると思います。そちらも良ければ見てください。ありがとうございました。