伊田よしのり・2025-02-11
チョコの渡し方
練り方
ねるねるねるね
練り方は
ねるねるねるねの袋に書いてある。
つまり
チョコの渡し方は
練れば分かる。
そういう具合に
うまく作られているのだ。
狂った夏の暑ささえ懐かしい
冷え切った部屋の中で私は
ねるねるねるねの練り方さえ
忘れかけた。
僕は当面の間、お酒をやめることにした。
最近は飲み過ぎで、ねるねるねるねの練り方が、雑になってしまっていたのだ。
練り方の問題というよりは
理解力の問題だったのだ。
私は
練り方の基本さえ
忘れかけたのだ。
君に会いに行こうと思って
家を出て歩き出すと
春の熱気が僕を押し返した。
熱中症とは言わないが僕は
気が遠くなって
君の家の方角も
ねるねるねるねの練り方も
忘れてしまった。
ねるねるねるねのハウツー本は
意味がない。
読んでうまく練れるなら
誰も苦労
しないのだ。
その昔
ねるねるねるねは男性の仕事だった。
女性から見て、練れる男性というのは
魅力的に映ったものだ。
今では、ねるねるねるねの練り方は
袋にちゃんと書いてある。
だから、もはや「練り方が分からない」という
口実は、使えないのだ。
どんな色を
実現したいかによって
ねるねるねるねの
練り方は
変わってくると
思うのだ。
練り方を変えたくらいでは
何も変わらないだろう。
間違った練り方を続けていると
次第に
それが現実なのか
お菓子なのか
区別がつかなくなってくる。
そしてついには
自分が何を練っているのか、
自分は練っているのか
それとも
練られているのかさえ
分からなくなってくるのだ。
お菓子を買いにスーパーに行った。
昨日はバレンタインデーだったのに
そこには既に
ひな祭り🎎のコラボ商品が
置かれていた。
季節の流れが早すぎる。
いや、僕が遅すぎるだけなのかも
しれない。
お菓子売り場の雑踏の中で僕は
ねるねるねるねの場所を見失った。
そして
練り方さえ、忘れかけた。
私は
小学校高学年の
時の担任が
酷かったので
学校の先生というものを
疑っているのだ。
私が先生一般を疑うのは
あの先生のせいである。
それでも、最近の
先生というのは
気の毒だな、
とは思う。
最近の子供は
スマホと生成AIで
とても
スマートなのだ。
ねるねるねるねの
練り方だって
先生より知っているし
上手なのだ。
彼女にいいところを見せようと僕は
普段とは違う練り方を試してみた。
しかし今にして思えば
あの練り方はちょっと
まずかったのだ。
ちょっと練り方を工夫するだけで
いつもの色の変化が
少しだけ楽しくなるのだ。