僕のアンソロジー
前編
アンソロジーとは、詩文の美しいものを選び集めた本。原語はギリシア語で花束。
現代ではジャンルにとわず使われている。
僕は美しいものが好きだ。
正しく言えば美しいものを写真に収める行為が好きだ。
その瞬間の1番美しい時を美しいまま永遠に残る。
シャッター音がなるたび、美しいものが刻まれる快感を覚える。
同時に僕の心もきれいになる気がする。
だから僕は美しいものが好きだ。
僕の世界は色がない。
ある時から全ての世界が白黒灰色の世界になった。
昔は色付いてたから大体の色は分かるし、濃淡はあるから日常生活になんの支障もない。
ただ、僕の大好きなものはあの時から失った。
生きる活力、生きる希望、生きていく僕の全てを僕は失った。
ある意味、そこで死んだのかもしれない。
僕は惰性で生きている。
惰性で生きててもなお、僕は死にたいわけではない。
きっと僕はまだ希望を持っている。
そんな僕も気づいたら高2でそろそろ惰性で生きていくには厳しくなっている。
将来なんのために生きていくのか、クラスメイトはすでに見つけてそれに向かって進んでいる。
僕だけが止まっているのだ。
"島田。これはどういうことだ。"
おじいちゃんの担任の先生は放課後、帰ろうとする僕を慌てて引き止め、数学準備室へ招いた。
生徒からパパと呼ばれる担任の先生は優しく面倒見がいい素晴らしい先生だ。
紅茶とチョコレートを出したパパは内緒なと言いながら僕の前に腰掛けた。
"わかりません。"
出された紅茶を一飲みしミルクティーなのを確認してから素直に答えた。
少し困ったように僕の真っ白な進路調査の紙をみたパパは立ち上がると棚から沢山の大学や専門学校のパンフレットを出してきた。
"1度目を通して見なさい。何か島田にとってヒントになるかもしれない。"
パパはそれだけ言うと自分の仕事を始めた。
僕はしぶしぶパンフレットを手に取った。
経済、商学、法学、工学、文学…
保育、音楽、芸術、看護、医学…
何を見てもモノクロでピンとこなかった。
ペラペラとパンフレットを流し見しているとパパはまた僕の前に座っていた。
僕が驚いた素振りを見せるとパパは少し可笑しそうに笑い指さした。
"俺はな。島田はここに行きたいと思ってたよ。"
そう言ってパパは僕から1番遠いパンフレットを手に取り僕が見たくもないページを開いた。
圧倒的な青。雨上がりの青空の美しさを最大限に写し出した写真がデカデカと1ページに掲載されていた。
モノクロの世界で僕が唯一色付けることを許されるもの。
僕にとってこの写真は希望で呪いだ。
パンフレットを勢いよく取り上げ閉じるとまたモノクロの世界に戻った。
失礼しますと荷物を持って逃げるように教室を出ようとしたとき、パパが明日も来なさいとだけ言った。
今日もいつもと変わらないモノクロの世界で僕は惰性で生きた。
必ず入っている一眼レフを鞄に沈め、足取り重く数学準備室に向かった。
数学準備室には変わらずいかついパパが紅茶を準備して待っていた。
今日はレモンティーかと確認したところで、数学準備室の扉が開いた。
"パパ!聞いて!今日推しがねー!って、お取り込み中…?"
扉の勢いと同じくらい勢いのいい女の子が大声で入ってきた。
"失礼しますくらい言いなさい。"
落ち着かせるようにパパは言った。
"ごめんなさーい。ごめんね!"
パパに謝ったあと僕にも軽い謝罪が入った。
僕はしぶしぶ体を彼女のほうを見た。
僕は驚いた。
ふわふわした色素の薄い茶色の髪。髪と同じ色した目。短いスカートから伸びる細く白い脚。爪はピンクのマニキュアが塗られていて、細部まで美しい。
僕は色を失ってからあの写真以外で初めて色を見、美しいと感じた。
そして声に出た。
"美しい…"
それ以上の言葉が出なかった僕は彼女をガン見し、ほおけていた。
彼女は引き気味にどーも。と言い、出ていった。
パパはにこにこと紅茶を飲むとごめんなと謝った。
"渡辺はよくここに入り浸っていてな。"
僕は衝撃な出会いと美しいものの名前を知れて小さくガッツポーズした。
"ここに行くならとりあえず成果を出さないとな。"
パパはまだ何も言っていない僕にあのパンフレットを渡した。
パンフレットの色付いた青を眺めながら僕は焦った。
パパに聞かなくてもこの学校の仕組みは十分に理解していた。
全国トップクラスの写真・映像の専門学校は世界的な写真家や映画監督を輩出している。
私立専門学校にしては珍しくお金は公立大学よりもかからない。
多くの有名人が後輩のために寄付しているからだ。
そのかわり将来に有望な人間しか集められない。
つまり高校までに結果を残す必要があるということだ。
僕にはその結果は、ない。
卒業まで1年半。専門学校の願書受付まで約1年。
時間がない。
しかし僕には勝算があった。
写真コンクールはそこそこある。
特に夏にある写真甲子園。
そこで結果を出せば…
僕は色の付いた彼女を想いながら眠りについた。
"僕の被写体になってくれませんか!"
1学年6クラスもある中から僕が彼女を見つけ出したのは放課後だった。
僕は彼女にことの説明をし、誠心誠意お願いした。
"え!めーちゃすごいとこじゃん!やば!え、未来の有名人ってこと!?やばーい!"
彼女の高すぎるテンションに押されつつも彼女の語彙力のほうがやばいのではないかと心配になった。
"んー。なんか面白そうだしいいよー!"
返事は思っていたよりも簡単に簡潔に出た。
僕は礼を述べると鞄から重たい一眼レフを出した。
"え、え、もう撮るの?待って!ちょーと待って!前髪タイム!"
僕がカメラを構えると彼女はスマホを鏡に前髪をイジった。
僕はそんな姿さえ美しくてシャッターを切った。
"具体的にどーするの?"
写真を撮るのに夢中になりすぎて気がつくと学校に人気はなかった。
家が近く徒歩圏内の僕とは違い電車に乗って帰る彼女を駅まで送りながら彼女は僕に聞いた。
"とりあえず、色んな渡辺を撮りたい。僕も久しぶりすぎて忘れすぎているから今はウォーミングアップみたいな気持ちでいてほしい。"
彼女はまるでステップを踏むかのように足取り軽やかに歩いた。
僕は静かにシャッターを切って彼女を追いかけながら答えた。
"ねぇ、今までに撮った写真見せてよ!"
彼女は言った。
"被写体としてカメラマンの腕前、知りたいんだけど?"
彼女はにやにやしながら明日持ってきてね!と言って地下鉄の駅に消えていった。
次の日、古いアルバムを持ってきた。
僕が幼い頃、父と一緒に撮った写真たちだ。
"わー!きれい!"
僕は色付いてる頃、美しいものを切り取るのが楽しくて仕方無かった。
"これ見たことある!"
そう言って彼女は唯一、このアルバムで色付いた僕が撮ってない写真を指さした。
"これ、父さんが撮った写真なんだ。"
僕は聞かれてもいないのに彼女に昔話を始めた。
父さんは世界的に有名な写真家で僕はそんな父とよく写真を撮っていたということ。
父さんは撮りたいものができると家族もほっといて世界中駆け回ること。
そのせいで母さんは苦労したということ。
"母さんは自殺したんだ…。
父さんに見てほしかったんだと思う。
母さん言ってたから、若くてもっときれいな頃はいっぱい写真を撮ってくれたんだって。
もう一度父さんの目に映してほしかったんだと思う。
…目の前で母さんが死んで、急いで父さんに連絡したんだ。
救急車とか、そういう思考回路にならなくて、父さんに連絡したら父さん、飛んで帰ってきて。
…写真を撮ったんだ。
母さんの亡骸を…"
僕はそこまで言うと彼女は僕を優しく抱きしめた。
彼女の想像よりも冷たい体になぜか涙がとまらなくなった。
"父さんはその後母さんの遺骨を持って出ていった。
僕はその日から色を失くしたんだ。"
"色…?"
彼女はこの話で初めて口を開いた。
僕はさらに説明した。
あの日以来、僕は色を失い、モノクロの世界で生きていること。
そしてカメラをやめてしまったこと。
でもどうしょうもなくカメラが好きなこと。
そして彼女に出会えたこと。
父の写真以外で初めて色付いた美しいものに出会ったこと。
"正直、僕はあまり母さんのことを覚えていないんだ。
母さんと過ごした記憶はあるのに母さん自体がぼやけている感じ。
確かに優しい母だったのに笑った顔すら思い出せない。"
彼女は悲しそうな顔をした。
僕はそれすら美しく感じた。
シャッターが切りたくて仕方無かった。
結局血は争えない。
"話してくれてありがとう。"
彼女は涙を目にいっぱい浮かべて微笑んだ。
"僕こそ聞いてくれてありがとう。"
僕はそう言って彼女の美しいを写真に収めた。