今日の放課後
音楽室で待ってます。
話が、あります。
ずっとずっと待ってます。
H.K
そんな手紙を
そっとクラスメートの
机に忍ばせた。
***
始業の鐘の直前
彼は滑り込むように
クラスのドアを開いた。
「おはようー」
ツカサ
「おはよう、宰」
「おー」
「課題やった?」
「やってないんさ、やべっ」
眉を下げて微笑むと
彼は軽快に歩む。
私の斜め前の席。
そこが進藤 宰君の席。
彼は私へと近付いてきて
やがて、自分の椅子へと腰掛けた。
机の中には
私の想いをしたためた、
呼び出しのラブレター。
彼が机へ手を入れた時
気付けるようにして置いた。
私の緊張は
最高潮だ。
ところが彼は
なかなか机には
手を入れてくれない。
やきもきして
歯がゆくて
どうしようもない。
その時だった。
おもむろに
本来の椅子の使い方とは
逆に腰掛け直した彼は
私の机に肘をつくと
こう笑う。
「なー、葉月ちゃん♪」
いつも苗字呼び。
香坂ちゃんって呼ぶ彼が
はじめて葉月ちゃん
名前で呼んだ…。
嫌でも、一瞬で頬は色づく。
「な、なに?」
「宿題でさ分かんないとこあって、教えてくんない?」
夢みたいな、展開が
目の前で起こってる。
現在×大好きな彼×宿題=奇跡
この方程式、絶対、成り立つ。
「うん。いいよ」
「やった!ラッキー♪」
彼はカバンから
古文のノートを取り出すと
ここ、ここ、と
シャープペンで指し示した。
「さこそはあらむずれって何?」
「そのようにあるべきだってことだよ」
「え、でも、じゃあさ、平家物語のこの一文、後代の聞こえもあらむずれってのは、後世の評判もあるべきだ?おかしくない?」
「それはね、活用の仕方が違って……」
ひとつひとつ、丁寧に説明すると
ひとつひとつに、うんうんと
相槌を打つ彼の真剣な眼差しに
私の全部が焦がれて溶けてしまいそう。
平常心を保つのがやっと。
唇は震えるし、教科書を指さす、
手のひらまで震えてた。
だって、鼓動がとまらない。
「あー、そっか、わかった!!さすが香坂ちゃん。わかりやすい、香坂ちゃんは将来先生になるといいよ」
なんて、軽口を叩く彼は
気付いてなんかいないだろう。
苗字呼びに戻っちゃって
私が少し落胆していることにも
小学校の頃からの夢を
肯定してもらえたことが
とても、嬉しいことにも。
小さな喜びと
小さな落胆が混在して
頭では冷静なつもりだったのに
心が混乱してるみたい。
私の目頭はカッと熱くなった。
「香坂ちゃん、ありがとなー」
そう言って、彼は
私に向かい素敵な笑顔を見せる。
ちょうどその時
「おはよう、席につけぇ」
先生が教室に入ってきた。
彼は、やべ。
と、小さく呟くと
前に直れ。
そして、
机の中にようやく
手を入れた。
ドッドッドッ、
高鳴る心音が煩くて
耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
彼は探るようにして
机の中で手をぱたぱたと動かし
やがて、手の動きが止まる。
あ…私の書いた手紙……
見つけた。
苦しいくらいの心臓。
もう、倒れそうだ。
下駄箱にすればよかった。
この時ほど
自分の選択を後悔したこと
あったかな。
彼はそっと
机の下で
封筒を見ると
そのまま
制服のポケットへと
それを忍ばせた。
あとは
放課後
来てくれる事を
願うだけ。
授業終了の鐘の音。
掃除を終えた私は
辺りを見回しながら
誰もいない音楽室へ
やってきた。
1日、彼を
観察していたけれど
おかしかったのは
一限目の休み時間だけ。
アラヤ マサシ
親友の荒谷 礼を連れて
廊下でコソコソ話をしてた。
きっとイニシャルを見て
誰だと思う、なんて話
していたんだろう。
H.K
よくあるイニシャルではない。
校内を探しても
私のほかに四人しかいない。
私じゃないか、
そう思われて
音楽室へ来ない事も
恐かったけれど
文化祭の時
ミスコンで一位の女の子も
H.K
木崎 絆奈と言う。
その子だと思って
音楽室の扉を開けられた時の
彼の落胆した表情も見たくない。
私の頭の中は
ネガティブがいっぱいだった。
外では野球部が声を出す。
陸上部はしのぎを削って
競争し合っている。
体育館からは
ドンドンという
固体音が身体に響く。
きっとバスケ部が
ドリブルの練習を
しているんだろう。
廊下では
女子のおしゃべりの声が
音楽室を通り過ぎていく。
いつもの学校の音。
翳りそうな陽射しは
もうすぐオレンジ色に染まる。
来なかったら
どうしよう。
ドキドキが加速する度
ネガティブな考えに
涙は滲んだ。
「あー、もうだめっ」
たった数分の時間を持て余した私は
音楽室のピアノの前に座った。
ミルテの花の第一曲目を弾く。
私が大好きな曲。
作曲家のシューマンが
結婚前夜に花嫁のクララへ
送った曲だという。
幸せに心が弾むような旋律。
落ち着かない心を
落ち着けてくれる…
魔法の曲。
弾いている最中の事だった。
カラカラッと
戸を引く音が聴こえて
私はピアノを弾く手を止め
そちらを見つめる。
そこには、彼がいた。
目が……、合った。
心臓が跳ね飛びそうなほど
鼓動が高鳴る。
「香坂、ちゃん」
彼は目を丸くして
私を見つめ、
言葉を連ねる。
「この手紙、って?」
いきなり本題…。
私はピアノの椅子を立ち上がり
おずおずと歩み出ると
声を細く絞った。
「あの……それ、私」
「うん」
「あ、あの……っ」
「うん」
「私、ずっと、私ね」
「うん」
「宰君の事が……」
「うん」
ここまで、告げたら
相手にも伝わるものは
あるだろうに
私の口はなかなか
核心を伝えられない。
ずっと
ずっとずっと
彼の事が好きだった。
片想いは
辛いけどその中には
幸せがたくさん
詰め込まれている。
“好きです”
たった4文字で
全てが終わってしまうと
そう考えたら
恐くて拳は震えた。
だけど
決めたんだ。
半年前にやっと
コロナウイルスが
収束した時に
告白しようって。
明日、
何が起こるか
それは誰にも
予測できないんだって
痛いほどわかったから。
大好きな彼に会えなくて
毎日が灰色だったあの日々
もう繰り返すのは嫌だから。
それならいっそ
伝えてしまおう。
勇気を、出そう。
私は、大きく息を吸い
ありったけの想いを
この一言に、込めた。
「好きです」
いっときのあとに
彼の顔を見れば
真っ赤な顔をして
後ろ頭をかき
やがて彼も言った。
「俺も香坂ちゃんが、好きだよ」
奇跡が2度起きたら
これはもう
運命認定してもいい?
音楽室に
サクラ、サイタ。
「なあ、さっきの」
「え?」
「あの曲、弾いてよ、俺あれすげえ好き」
彼は微笑む。
「いいよ」
私は彼に笑いかけると
ピアノ椅子へと腰掛けた。
***
きっとコロナは
落ち着きます
落ち着いて
きっとこんな日が
訪れます
それまで
待ちましょうね
来たる日に大切な人に
ぶつかっていけるように
春を待ちわびる
若葉のように
元気と勇気と恋しさを
その心にたくさん
詰め込んで。