〔 落ちる時間はキミのもの 〕
                            
                            
                            
                            
                            『この砂が落ちきるまでの時間
                            
                            
                            私に頂戴』
                            
                            
                            
                            それが君の口癖だった
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            __
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            大学四年生の春
                            
                            
                            
                            鈴芽に告白した時
                            
                            
                            
                            俺は初めて彼女の口癖を聞いた
                            
                            
                            
                            
                            『この砂が落ちきるまでの時間
                            
                            
                            私に頂戴』
                            
                            
                            
                            
                            
                            彼女は俺の告白を聞いてそう言うなり
                            
                            
                            
                            自身の鞄から小さな砂時計を取り出して
                            
                            
                            
                            俺に見せ付けるように
                            
                            
                            
                            自分のてのひらに置いた
                            
                            
                            
                            予想外の出来事に俺は戸惑う
                            
                            
                            
                            時間を私に頂戴?
                            
                            
                            
                            つまり待てってことか?
                            
                            
                            
                            にしたってなんで砂時計?
                            
                            
                            
                            これ落ちきるまでに
                            
                            
                            
                            五分くらいかかりそうなんだけど
                            
                            
                            
                            五分俺に待てってことなのか?
                            
                            
                            
                            グルグルと思考の渦に溺れながら
                            
                            
                            
                            俺はその時を待った
                            
                            
                            
                            
                            
                            そして、砂が落ちきる。
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            『うん、良いよ』
                            
                            
                            
                            「へ?」
                            
                            
                            
                            『付き合うの、良いよ』
                            
                            
                            
                            彼女は砂が落ち切るとほぼ同時に
                            
                            
                            
                            あっさりとそう言った
                            
                            
                            
                            『時間、くれたから、良いよ
                            
                            
                            有難うね
                            
                            
                            私も、君、好き
                            
                            
                            だから、嬉しい』
                            
                            
                            
                            今にして思えば
                            
                            
                            
                            彼女は探していたのだろう
                            
                            
                            
                            決断が苦手な自分を
                            
                            
                            
                            受け入れてくれる人を
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            __
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                             
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            大学四年生の夏
                            
                            
                            
                            付き合って何ヶ月かの記念日に
                            
                            
                            
                            水族館デートをした
                            
                            
                            
                            
                            お土産コーナーで
                            
                            
                            
                            ぬいぐるみを見つめながら
                            
                            
                            
                            鈴芽はポツリと言った
                            
                            
                            
                            
                            『チンアナゴとシャチ
                            
                            
                            これは、関ヶ原になるわ』
                            
                            
                            
                            「天下分け目の戦いって事?」
                            
                            
                            
                            『そうよ
                            
                            
                            砂時計持って』
                            
                            
                            
                            「あ、うん」
                            
                            
                            
                            
                            言われるがまま
                            
                            
                            
                            手渡された砂時計を手のひらに乗せる
                            
                            
                            
                            周囲の人に変な目で見られたことは
                            
                            
                            
                            言うまでもないだろう
                            
                            
                            
                            
                            『よし、こっちね』
                            
                            
                            
                            五分で完結した関ヶ原の戦い
                            
                            
                            
                            勝者はシャチに決まったらしい
                            
                            
                            
                            彼女は顔をほころばせながら
                            
                            
                            
                            シャチのぬいぐるみを
                            
                            
                            
                            レジに持って行った
                            
                            
                            
                            そんな姿を見つめながら
                            
                            
                            
                            俺は鈴芽の言葉を思い出す
                            
                            
                            
                            『選択するって事は
                            
                            
                            どちらかを捨てるって事
                            
                            
                            平等であるべき物なのに
                            
                            
                            自分の主観で甲乙付けなきゃならない
                            
                            
                            そんなの、捨てられた方が可哀想
                            
                            
                            だから私は悩む
                            
                            
                            でもね、時間は永遠じゃない
                            
                            
                            いつかは決めなきゃいけないって
                            
                            
                            ちゃんと知ってるのよ
                            
                            
                            ある日雑貨屋さんで
                            
                            
                            この砂時計を見つけてピンと来た
                            
                            
                            タイムリミットを付ける意味で
                            
                            
                            これは使えるなって
                            
                            
                            その日からこの子は私の相棒よ』
                            
                            
                            
                            
                            「優しいな」と
                            
                            
                            
                            気付けば呟いていた
                            
                            
                            
                            捨てられた方が可哀想だなんて
                            
                            
                            
                            俺は考えた事もなかった
                            
                            
                            
                            こんな小さな決断にすら
                            
                            
                            
                            自分の五分を使ってあげる
                            
                            
                            
                            時間が永遠じゃないと知っていながら
                            
                            
                            
                            そんな君の優しさが俺は好きだよ
                            
                            
                            
                            
                            
                            「鈴芽」
                            
                            
                            
                            『ん?』
                            
                            
                            
                            「シャチの勝因は?」
                            
                            
                            
                            『チンアナゴが
                            
                            
                            シャチに勝てる訳なかったわ』
                            
                            
                            
                            「そんなこと言わないであげて!?」
                            
                            
                            
                            
                            鈴芽の優しが好きって考えてた俺が
                            
                            
                            
                            バカみたいじゃないかと
                            
                            
                            
                            笑わずにはいられなかった
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            __
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            『ごめんね』
                            
                            
                            
                            
                            同棲二年目の秋
                            
                            
                            
                            鈴芽は唐突にそう言った
                            
                            
                            
                            
                            「何が?」
                            
                            
                            
                            『今まで沢山、時間を貰った事』
                            
                            
                            
                            本当に申し訳なさそうに
                            
                            
                            
                            彼女は目を伏せる
                            
                            
                            
                            『私ってほら、可愛いじゃない』
                            
                            
                            
                            「そうだけど自分で言うんかい」
                            
                            
                            
                            『だから結構モテたのよ』
                            
                            
                            
                            「うん、なんで急に自慢話始まった」
                            
                            
                            
                            『でも、長続きした事は無かったわ』
                            
                            
                            
                            「もしもーし、俺の声聞こえてる?」
                            
                            
                            
                            『ええ、煩いから少し黙って』
                            
                            
                            
                            急に自慢をされたと思えば
                            
                            
                            
                            黙れと言われる
                            
                            
                            
                            鈴芽さん、胸が痛いんですが
                            
                            
                            
                            と心の中で言う
                            
                            
                            
                            『私は即決が出来ないから
                            
                            
                            皆「もう待てない」って離れていった
                            
                            
                            でも、君は待ってくれた』
                            
                            
                            
                            柔らかく、鈴芽が微笑む
                            
                            
                            
                            その笑顔は反則だ
                            
                            
                            
                            ついさっきまで感じていた胸の痛みが
                            
                            
                            
                            遥か彼方に吹き飛んで行くのを感じた
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            『だから、お礼に
                            
                            
                            
                            私のこれからの時間、全部あげる』
                            
                            
                            
                            
                            心臓の調子を整えるように
                            
                            
                            
                            大きく息を吸う
                            
                            
                            
                            
                            
                            『私と結婚してください』
                            
                            
                            
                            
                            
                            一泊遅れて
                            
                            
                            
                            鈴芽が発した声の意味を理解した
                            
                            
                            
                            
                            
                            『それ使う?』
                            
                            
                            
                            鈴芽がイタズラに笑いながら
                            
                            
                            
                            テーブルの上の砂時計を指さす
                            
                            
                            
                            
                            「使わない」
                            
                            
                            
                            俺もつられて笑う
                            
                            
                            
                            
                            「もう答えは決まってるから」
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            「君の時間、全部貰う
                            
                            
                            代わりに俺の時間、全部あげる」
                            
                            
                            
                            鈴芽は目を丸くする
                            
                            
                            
                            
                            「この指輪、受け取ってくれますか」
                            
                            
                            
                            
                            耳まで赤くして驚いている彼女に
                            
                            
                            
                            俺は尋ねる
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            
                            「砂時計使う?」
                            
                            
                            
                            
                            鈴芽は笑う
                            
                            
                            
                            そして
                            
                            
                            
                            これが答えよ、とでも言うように
                            
                            
                            
                            砂時計ではなく
                            
                            
                            
                            俺が手に持っている指輪を取った