入りっぱなしだった、
透明の、小瓶。
「また、全部……なくしちまっ、た」
日に透かして振ってみれば
たぽんたぽんと小さく鳴った。
「もう……いいよな」
全て、失くした気になって
ぽつり、と独白を続ける。
「もう、充分……だよな?」
硝子と硝子がぶつかる音がした。
小瓶の中の
青酸カリを見つめる。
俺は少しずつ、
唇を近付けていった。
【Looking for Myself~分岐にゃん編~第十話 友紀目線 あの夜】
「ありがとう」
その言葉を残して
マヤは家を出ていく。
一度も振り返らずに。
「待っ……」
待ってくれ
その言葉すら伝えられず
バタンという重厚な音が
俺の耳を劈く。
“ありがとう”
……六花が笑顔で告げた、
掠れ霞んだ最後の言葉と
マヤの想いが重なり合う。
手元に残った、
六花のパーカーと
あの夜着ていたマヤのワンピース。
抜け殻の様なそれは
俺の心をひどく締め付けた。
___あの夜
マヤに声を掛けたのは
鉄橋の上に見た彼女の姿に
心が、揺さぶられたからだ。
***
マヤを拾った夜
俺はいつもの様に
河川敷の高架下にいた。
最早、日課だったのだ。
四年前、磯辺大二郎の
遺体が発見された、
全ての始まりの現場を
向こう岸に眺めながら
生と死の狭間を
右往左往することが。
あの時、上の決定に背かず
多少のことには目を瞑って
磯辺の死を自殺で処理すれば
六花やクロはああならずに
済んだのかもしれない。
後悔のどん底でそう思えば
身は切られるように痛めど
肝心の生命は
俺の胸で拍動を繰り返している。
その矛盾が心を
焦げ付かせる程に苦しかった。
リュックサックには
違法に取り寄せた、
青酸カリの小瓶が入っている。
いつも、今日こそは
今日こそは、そう思ってた。
ふと、月が見たくなって
頭上を見上げて、驚いた。
白い、ワンピース
少し、赤茶けた髪の毛。
欄干の上に、マヤがいた。
息を飲む。
一瞬……高校の時に
クロと喧嘩したと言って
家を飛び出してきた、
六花の姿と重なったのだ。
虚ろな目。
頬に流れる涙。
辛そうで
苦しそうな姿。
そして口元に蓄えた、
諦めの笑み。
1発でわかった。
あいつは、俺と同類だ。
死にたくて、死にたくて
死ぬ事が出来ない……意気地無し。
「おーい、そこのお前。パンツ見えてるぞ」
どう話しかけていいかわからず
そんな卑屈めいた言葉を
皮肉な笑みと共に投げかけた。
別に……生命を
助けようと思っていたわけじゃない。
ただ
死ぬ事で、互いの願いが報われ
互いの心が救われるなら
それもいい
そう思っただけ。
「死ぬんだろ?早く来い」
鉄橋下の川に飛び込んで
マヤに声をかけた時
わざと挑発的に
言葉を捨てた。
まさか本当に
飛び込んで来るとは
思いもしなかった。
俺が何の躊躇いもなく
そこから身を投げる姿を見て
自殺を思いとどまるなら
それでいいと思っていた。
混在する生と死への想い。
俺はあの時
マヤを見つめながら
自分の生き死にと
向き合っていたのかも
しれなかった。
「ちゃんと……死ぬから!!」
そう叫んで空を仰ぎ、
見ていなさいよとばかりに
水の中に吸い込まれていくマヤを
目の当たりにした時
心の何処かが軋んだ気がした。
見ごろしにする事も出来た。
そうしてやれば
楽になれるだろうと思っていた。
なのにあの瞬間
“助けて”
誰かがそう
俺の耳元で囁いた。
“お願い、助けてあげて”
“ゆき……っ”
ともき、という名を
ユキと愛らしく呼ぶ六花の声で
そう聞こえたのは
気の所為だったろうか。
気がつくと俺は
マヤを助けていた。
人を……助けてしまった。
そんな、資格が
何処にあるというんだろう。
六花を死なせた。
クロを半死人にした。
一番、守りたかったものを
手放した瞬間の絶望が
体中を覆う。
そんな俺に人助けなんて
できるわけがない。
きっとまた、失敗してしまう。
本当は誰も、亡くしたくないのに。
「ねえ、あなた……名前は?」
「黒須世名」
俺のような人間が
誰かを救えるわけがない。
クロだったら救えたはずだ。
ねじ曲がって歪み切った思考が
俺に、親友の名を……語らせた。
***
誰もいなくなった部屋。
転がった自傷道具。
ふらつきながら
ベッドに身を投げる。
布団に吸い込まれていく体。
夕日を浴びて煌めく埃。
ごろんと、寝返りをうった。
数時間前まで
このベッドにあったはずの
抱き枕……その温もり……マヤ。
夜、悪夢にうなされ飛び起きた時
側にあいつがいてくれるだけで
安堵に胸を撫で下ろした。
四年前の事件から
わずか数分の睡眠を繰り返し
睡眠不足に喘いでは
規定量以上の睡眠薬に手を出した。
恐らく俺は
ひどい薬中だったのに
あいつを抱き締めると
薬を飲まなくても眠れる
俺は正常だとすら
錯覚するほどに調子はよかった。
「ま、や……」
いつもマヤがいた、
左腕が空っぽで
気がつけば
涙が溢れ出す。
また、無くしてしまう。
この急くような感情は
なんだろう。
汚泥の中で
もがき苦しみながら俺は
そっとリュックに手を伸ばす。
入りっぱなしだった、
透明の、小瓶。
「また全部……なくしちまった」
日に透かして振ってみれば
たぽんたぽんと小さく鳴った。
ドラマのように青酸カリを飲んで
すぐに死に至るわけではないが
致死量を飲み干せば
いずれゆっくりと死に至る。
「もう……いいよな」
全て、失くした気になって
ぽつり、と独白を続ける。
「もう、充分……だよな?」
硝子と硝子がぶつかる音がした。
小瓶の中の
青酸カリを見つめる。
俺は少しずつ、
唇を近付けていった。
20センチ
10センチ
5センチ、4センチ
次第に近づく死の香り。
甘酸っぱいアーモンドの香りが
鼻をさした。
瓶に口づける。
あとは
瓶を傾けるだけ。
ゆるゆると、死んでいくだけ。
手も唇も身体さえ震える。
死にたくない。
そう叫ぶのは、誰だ。
心の声に耳を塞ぎ
いざ、飲み込もうとした時だった。
“友紀、さん。生きて……?”
マヤの絞り出す様な声が、聴こえた。
その途端、
俺は青酸カリの入った小瓶を
怯えるように
手のうちから放り投げる。
小瓶はあえなく割れ
中の青酸カリは部屋に散った。
襲う不甲斐なさに俺は
阿鼻叫喚した。
「くそ、くそっ、くそっ!」
髪を掻き乱し
髪の毛が抜ける程引っ張りあげて
そのまま拳を膝へ振り下ろす。
鈍い痛みが膝を襲うも、
俺は構わず外へと飛び出した。
「マヤ……っ、マヤ、行くな……、待って、待ってくれ……」
足元が覚束無い。
涙で前が見えない。
マヤをなくしたくない
その感情に、突き動かされ
俺は、夜に差し掛かった空をかぶり
マヤを探し始めた。
ひとひら☘☽・2020-06-11 #幸介 #幸介による小さな物語 #LookingforMyself #LookingforMyself~分岐にゃん編 #それだけでいい #独り言 #刑事 #警察 #闇 #病み #死別 #独り言 #小瓶 #青酸カリ #片想い #好きな人 #ポエム #辛い #苦しい #妻 #抱き枕 #好き #恋
